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第33回 マウイ・コンサート

投稿者: ハワイ歩き方事務局 更新日:2001年10月10日

マウイ・コンサート


「ホオウル・イ・カ・ナ・アウアオ」公演のため、マウイに行きました。マウイコミュニティーカレッジの敷地に建つマウイ・アーツ&カルチャー・センター(MACC)は、ハワイシアターを思い起こさせる美しい劇場です。いつも楽屋口から出入りしていたので、結局、表玄関を臨むことはありませんでした。

公演は土曜日の夜と日曜日の昼の2回で、公演内容はカーネギーホール(ニューヨーク)やニール・ブレイズデル・ホール(ホノルル)で行ったものとほぼ同じです。プログラムはハワイの時代考証と共に進行します。第1部(クムリポ=ハワイ創世期)、第2部(カメハメハ王時代)、第3部(カラカウア王、リリウオカラニ王女時代)、第4部(ハリウッドとツーリズム)、そして第5部(現在と未来)の全2幕に構成されていて約2時間半の公演です。あまりフラになじみがない東海岸の観客と異なり、地元の観客はフラに対して目が肥えています。ホノルル公演を見逃したクムフラたちが他の島からも見に来るとあって、出発前からクムも緊張していました。

今回はフラオニエで優勝したケイキの中から14人が参加することになり、クプナ、ワヒネ、カネを合わせて約80人のダンサーになりました。ケイキのクラスから上がってきたティーンの子供達がカメハメハ大会よりワヒネに加わり年齢層が一気に若返りました。ホテルの部屋は4人で1つの部屋を共同で使います。2つしかないベッドは2人で1つをシェアします。平均して、子供1人、ティーンが1人、大人2人という組み合わせになります。たまたま私の部屋にはダンサーの母とケイキという実の親子がいたので、私はティーンの子供と一緒にベッドを使うことになりました。

出発1週間前に、ラウアエでレイポオとクペエのフルセットを作りました。演目によってはティーリーフスカートやハクレイを作る人たちもいました。今回新たに加わった演目に出演することになった私は初めてレイフルを使うことになりました。作ったレイは前日にハラウに集められ、クーラーボックスで運ばれることになりました。

コクアを合わせると総勢130人の団体が金曜日の午前と午後、土曜日の午前の3便に分かれてマウイのカフルイ空港に向かいました。9月11日のテロ事件以降、空港のセキュリティーが非常に厳しく、ホノルルから向かうときは団体でのチェックインができないため、個人でチェックインすることになりました。各部屋で分担して持っていくアイロン台やグループで持っていくクーラーボックスなどは個人の荷物に数えられるため、預ける荷物は必ずスーツケース1つだけに限定されました。日本公演に行くとき、化粧用はさみを手荷物から抜き取られ捨てられた経験から、クムは全員に化粧用具やレイを作るときに使う道具は必ずスーツケースに入れて預け、ティーリーフスカートと小さなカバンだけを手荷物にするよう指示しました。運転免許を持っていない子供達も全員写真入りの身分証明書を携帯するように言われました。空港では片道につき、少なくとも2回は身元検査があります。手荷物はすべてX線を通し、乗客もX線を通った後、金属探知器で周到に検査されます。ベルトのバックル、腕時計、ブレスレットなど、どんなものにも反応するので1人ひとりの検査に長い列ができます。アトランダムということでしたが、帰路はほとんどのダンサーのスーツケースが開けられ、中身を検査されました。

金曜日に到着した私達は部屋で衣装のアイロンかけをすることにしました。アイロン台は部屋に1つしかないので、後から来る人たちが、次々に作業を始められるよう、自分達の分を先に済ませておくことにしたのです。1人につき何着もあるので時間がかかります。次の便で来る人たちを待ってから一緒に劇場を下見に行く予定でしたが、フライトが遅れたため、キャンセルされました。夜は近くのショッピングセンターで夕食を済ませ、髪を編んでから寝ました。

土曜日は長い一日でした。午前中は舞台上のダンサーの位置を確認しました。舞台の上に設置してある台の大きさと形が直前になって大幅に変更されたので、台の上で踊る予定だったダンサーの数が変わり、それにより下で踊るダンサーの位置にも影響が出るからです。各々位置の書かれたペーパーを片手に舞台に立ち、自分の位置を確認したら次々に演目の順番どおり進んでいきました。ハラウでの食事の順番は、ケイキ、クプナ、ワヒネ、そしていつも最後がカネです。昼食はピザでしたが男性陣が口にするときはすでに冷めています。午後は衣装なしのステージリハーサルでした。衣装の着替えが間に合うか不安でしたが、この時点で衣装を着ると、しわができてアイロンをかけている時間がなくなるので仕方がありません。リハーサル次第ではホテルに戻ってシャワーを浴びる時間が取れるかもしれない、ということでしたが、やはりカーネギーの時のようにそんな時間はなくなり、すぐ支度に入らなくてはなりませんでした。私の早替わりは2回ありましたが、舞台袖でフラシスター達に手伝ってもらって何とか間に合いました。ショーの後にはマウイを拠点にしているケアリレイシェルのハラウが作ってくれた夕食を楽屋で頂きました。心のこもった食事に感激しました。ホテルに戻り、荷物を片付けて真夜中過ぎにベッドに入りました。

日曜日は大忙しの一日でした。朝食後ホテルに戻ることはないので、スーツケースを持って劇場に向かい、すぐに支度に入りました。追加公演のこの日は日曜日のマチネーということもあり、満席の前夜よりは入場者数が少ないそうですが、「昨夜と同じように素晴らしいショーにするように」とクムから言われました。昨晩の記憶が新しいため、着替えや手順などはより早くできました。公演の途中から使用済みの衣装を次々とスーツケースに入れていきます。終了と同時に大慌てで空港に向かわなければいけないからです。最終便の2便に分かれてホノルルに戻らなくては、帰宅が翌日の月曜日に持ち越されてしまいます。数度のカーテンコールの後、舞台袖に散らかっている早替わりで使った衣装やレイや花などをかき集めて楽屋に戻り、楽屋でも散らばっている葉や花びらなどを片付け、大急ぎで衣装と化粧ケースをスーツケースに詰め込んで、楽屋口で待っていたスクールバスに飛び乗りました。空港に向かう10分間の乗車時間中に、乗る直前に配られた昼食兼夕食の弁当をお腹に流し込みました。グループチェックインをして飛行機を待っている間、髪をほどいて舞台化粧を落としたら、やっと一息つけました。

ダンサーの間で風邪が流行っていてホテルの冷房と数度のステージリハーサルで声が出なくなってしまった人たちが続出しました。忙しく過ぎ去った週末は、帰宅してから思いがけず尾を引きました。声の出なくなったハウマナ達の分まで頑張ってチャントをしたせいか、あるいは流行の風邪をもらったせいか、ホノルルに戻ってきてから1週間寝込み、2週間声が出なかったので全く仕事になりませんでした。

ハラウは2週間のクリスマス休暇に入りました。楽しいクリスマスを大切な人とともに平和に迎えられますように。

(Kawailani)

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