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ハワイ歩き方事務局
人気連載「フラ講義」

第49回 カホオラベ島の過去、そして現在…

投稿者: ハワイ歩き方事務局 更新日:2003年04月30日

カホオラベ島の過去、そして現在…

●カホオラベ島パネルディスカッション


ビショップ博物館に展示されている工芸品

「カホオラベ島」については、このフラのコーナーでも何度か紹介してきました。今回は、島について再び考える機会を与えてくれた2つのイベントについてご紹介します。4月25日、ハワイ大学のハワイ研究センターで開かれた講演会を聴講しました。パネリスト達は5人で、そのうち4人は私たちを島に連れて行ってくれた非営利団体の Protect Kaho’olawe‘Ohana (PKO)に所属している人たちで、もう1人はハワイ州 Kaho’olawe Island Reserve Commissionに勤務する人でした。

講演会では、まず、ハワイ・パシフィック大学(私の母校!)のメディア学科が撮影したビデオを上映。続いて、事前に用意されていた質問に対して、バネリスト達が自由に答えた後、出席者からの質問に答える形式を取りました。ちょうどメリーモナーク大会がテレビで放映されていた夜だったので、講演時間の2時間をとっくに超過したころ、コソコソと会場を抜け出すことになってしまいした。実は、上映されたビデオ収録には私の所属するハラウも協力。大学生達が稽古場に来て、1998年にメリーモナークで踊ったヘレイノカホオラベというチャントを撮影したのでした。合成して、「島の石舞台の上で踊ったかのように見せる」という話でした。ビデオはその後、ワシントンDCのスミソニアン博物館に選出されて賞を取ったそうですが、結局、踊った私たちは誰も完成作品を見たことがなかったので、思いがけない場所で見ることになったビデオに一瞬でも自分が映っていて感激したのでした。


「イプ・ホキオキオ」と呼ばれる伝統的な鼻で奏でるフルート

講演内容は、カナロアの物語やマカヒキに代表される宗教活動の説明はなく、島をハワイ住民に返還する目的で米軍に訴訟を起こし、自分の名前がついた法律を作った学者や、政治犯として数年間を牢獄で過ごしたハワイアンの活動家など、パネリストの顔ぶれから想像できるように、かなり政治色に傾いた内容でした。 島にまつわる過去の事実がほとんどだったので、新しい事実を知らされることも、期待していた島の将来についての情報もほとんどなかったのが残念でしたが、強い印象を受けた事柄が2点ありました。

第1に、この島は以前、ハワイ州の他の島に変わらず、肥沃な土地だったそうです。雨雲はよくマウイ島のハレアカラ火山やモロカイ島の方から流れて来て、緑豊かな島にしたそうです。前述のチャントにも「赤い雨」という箇所があります。ハワイでは雨にいろいろな色や種類があります。確かに、ロノは肥沃の神ですから当然のことなのですが、現在の乾いた赤土のひび割れた地面からはとても想像できないことです。島全体に戦争の傷跡を見るようです。人間の手でこんなにも大きく、自然のサイクルが崩壊されるものかと呆然とします。


機械を使わない旧式の入れ墨は所要時間も苦痛も倍

第2に、PKOの名前に由来するように、島はハワイに住む人々のもので、ハワイアンだけのものではないということです。所属するメンバーにだけ特権を与えるアソシエーションではなく、家族の意を表す「オハナ」という言葉を使っているのには理由があるのです。

1941年、第二次世界大戦中、軍事演習に使用されるため、カホオラベ島はアメリカ合衆国政府の直接管轄下に置かれました。94年にハワイ州に返還されましたが、依然、地雷撤去が未終了だったため、活動は常に米軍と共に監督されてきました。97年に一般市民の上陸が許可された当初は、15歳以下の子供達の上陸は許されませんでしたが、PKOの辛抱強い活動の賜物で、現在では子供達も島に渡ることができます。団体の方針いわく、「島が家族のものなら、ハワイの将来を担う子供達に現状を見せなければ意義がない」ということです。私たちが上陸したときも次代のクムフラに選ばれたクムの姪が、ハラウでは初めて子供として参加しました。島で共に暮らし、大人顔負けの文化活動に参加した彼女は、本番で立派にホオパアを努めました。決して安全とは言えない場所で体験学習する子供達の目に、カホオラベ島の過去と現在はどのように映るのでしょうか。

カホオラベ島関連サイト
Protect Kaho’olawe‘Ohana www.kahoolawe.org
Kaho’olawe Island Reserve Commission www.state.hi.us

●e-Bay


丸く削ったポハク(石)を2つ並べた柵の間に通して遊ぶ「ウルマイカ」

インターネット・オークションの先駆者「 e-Bay」 で先頃、ハワイの工芸品が売買されました。売られたのは、カホオラベ島から持ち帰ったとされるウルマイカ(ハワイアンの古くからある遊びでボーリングのように球を投げて、クリケットのように決められた柵を通すもの)でした。ウルマイカの形と大きさはツナ缶に似ていて、普通、玄武岩で作られていますが、珊瑚で作られている物もあります。ハワイアンの間ではとても普及したスポーツの一種なので石自体は珍しいこともありませんが、カホオラベ島にあった物となると話が違います。合衆国政府の領土であり、考古学的にも重要な土地から持ち去ったと言うことは、国だけでなく州の法律にも違反したことになります。さらに、貴重な考古学資料を売買したとなると、罰金は1万ドルにもなります。


貴重な文化遺産は大切に後世へ残していきたいもの

考古学者が物を動かす前に、その場所の写真や記録をたくさん取るのは、考古学上、 場所が時代を示す重要な手がかりになるからで、記録無しに物の位置を変えたこと自体が破壊行為なのだそうです。今回の行為は、「戦場やアメリカ原住民の土地から持ち出した物の売買を禁止する 」e-Bayの規則にも反するそうで、見つかった3つめのウルマイカの売買は、 米軍から通知を受けた売り手がセールをキャンセルして未然に防がれました。

売り手がガレージセールでただ同然で買った代物が、305ドルの値をつけたのにもかかわらず売買が成立しなかったことを不服に思うか、ハワイの考古学に貢献すべく美術館に快く寄付したかどうか、は不明です。でも、記事を読んで、私たちが上陸の際に、呪文のように唱えていた、「自分が落とした物以外は拾わない」という約束は、考古学上でも安全面でも重要だっただけでなく、法律で守られていたことだったのだと実感しました。今年、2003年11月、カホオラベ島は地雷撤去作業が完全に終了する見込みの立たないまま、全面的にハワイ州に返還されます。島の将来はハワイアンの血が体に流れる人々だけでなく、ハワイに住み、ハワイでビジネスを営む人々、またハワイを訪れる人々など、ハワイに関わる全ての人々にゆだねられるといえます。

(カホオラベ島考古学的資料のインターネット・オークションに関する詳しい情報は下の地元有力紙のリンクからどうぞ)
ホノルル・アドバタイザー www.the.honoluluadvertiser.com
ホノルル・スターブリテン www.starbulletin.com

●フラ、ダンス・オブ・ポエトリー展


ビショップ博物館の「ハワイアンホール」でフラカヒコを踊るダンサー

4月からビショップ博物館で開催されている「Hula: The Dance of Poetry」に行ってみました。新しく知ったことは別になかったけれど、着けて踊ったら痛そうなクペエや楽器など、ケースに入った展示物は興味深かったです。人形を操って踊るフラ、という展示物もありました。私が出かけた日は、毎月1回あるファミリーデーで博物館全体がとても賑わっていました。相変わらず、ハワイアンホールの中ではフラカヒコに観客が集まっていました。外ではウルマイカに熱中している親子連れもいました。アサートンハレでは、入れ墨のデモンストレーションが行われ、暑い中、たくさんの人たちに人気を呼んでいました。 無料配付されていた新商品アイスクリームを片手に庭を歩いて、ケイキフラを楽しんだ後、初めて入ったプラネタリウムで夜空を仰いでから帰りました。これから、夏のハワイの夜空を楽しむことができます。

ビショップ博物館
場所:1525 Bernice St. Honolulu,HI 96817
駐車場:無料
電話:847-8291(日本語)
開館時間:9:00-17:00
入場料:プラネタリウムを含み$14.95、4才から12才までと65才以上は$11.95、3才以下無料
ホームページ(日本語):http://www.bishopmuseum.jp/

■アクティビティ情報 / ビショップ・ミュージアム

(Kawailani)

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