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■ハワイの出産事情、全部教えちゃいます■
第14回 9月11日波乱の出産(上) ●計画出産へ突入妊娠38週目で計画出産することが急に決まり、いよいよ入院日を設定することになりました。血糖値が胎盤に与える影響を心配した主治医の判断でした。この時点で既に子宮口は2cm以上開いていて、赤ちゃんの頭も骨盤に入っていたし、手足もむくみ始めてきたので、「限界近し」のわたしには計画出産に対する抵抗感はほとんどありませんでした。「どうせ計画出産するなら、9月8日がいいな」と個人的に思っていたのですが(理由は単純。土曜に出産だと、土・日はパパも休みだし、長女の面倒をみてくれる約束をした友人も土曜〜火曜がオフで絶好のタイミングだったため)、あいにくコササ先生の都合が悪く(ん? やっぱ土、日に産んでほしくなかったのかな?)、10日の月曜日にクリニックで検診してもらい、その足で入院という手筈となりました。 当日の検診では、さらに子宮口が4cmも開いていて、時折、鈍い陣痛も始まっていたので、半ば自然分娩のような格好となってきました。入院手続きは1ヶ月以上も前に「プリ・レジストレーション」を済ませてあったので、この日は名前を言って書類にサインをするだけで部屋に案内されました。ちなみに、この「プリ・レジストレーション」は、病院側に出産で利用する意思表示をすると同時に、出産当日の事務手続きを簡略化するために、妊娠8ヶ月以降の都合がいい時に済ませるように奨励されています。加えて、退院時に会計を済ませる日本の病院とは違い、ハワイでは入院時に健康保険証を提示し、保険でカバーされないコストは自己負担する旨の同意書にサインしておくと、退院後しばらく経ってから(実際には、かなり経ってから)請求書が送られてくるシステムになっています。もし、健康保険がなければ、当然このレジストレーションの段階で「全額自己負担」の同意書にサインすることになります。 ●迎えた出産前夜と、ここまではトントン拍子に事が運んだのですが、いざレジデント医の診察となると、何だかにわかに話が違ってきました。コササ先生の指示では、「入院後、陣痛促進剤の座薬を入れて陣痛を起こし、翌日出産」というはずだったのに、レジデント医は「もう子宮口が4cmも開いているから、座薬ではなく点滴にしたほうがお産が早く進むはず。どうして座薬なの?」と言うし、スタッフは「点滴なら今晩LDRに入ることになるけれど、空き部屋がないわよ」と言い始めるし... 全くもう「そんなこと、わたしゃ知らんがな〜」。結局、レジデント医がコササ先生と話し合い、LDRの空き状況を見合せて、11日の早朝から点滴を入れることになりました。「こんなはずなら、今晩は家に居れたのに...」と思いつつも、まあ陣痛もあることだし、ここまで話がまとまるまで数時間もかかったことを思うと(こういう調整やらに時間がかかるのは、ハワイではよくあることなんで...)、おとなしく「まな板のコイ」に徹することにしました。 こうして迎えた出産前夜。陣痛に加え、検温やモニターチェックが何度もあるので、眠られぬままトロトロと明け方を迎えました。夫は付き添い用の窮屈なソファベットで、ミイラ状に直立不動で横たわっています(寝てない...)。そんな朝4時すぎ、モニターチェックに来た当直の看護婦さんが開口一番、「寝てないのなら、こんな時だけどテレビをつけてごらん。大変なことになっているから...」と教えてくれたのが、あの「9.11同時多発テロ事件」だったのです! 夫婦ともにボ〜っとした頭で、「airplane, crash, twin tower, terrorist... 」と言われた単語をつないでみても、事態がさっぱり把握できず、とりあえずつけたテレビを見て、ただ唖然... 「何? 何これ?」。映像が伝える事実を飲み込むまでに、どれくらい時間がかかったでしょうか? テレビでは興奮したキャスターが、何度も飛行機がワールト・トレード・センターに突っ込む映像を流しています。その時点では、テロリストに全部で何機ハイジャックされているのか、何千人犠牲者が出たのか全く分かっておらず、とんでもない事態にアメリカが陥っていることだけが伝わってきます。それでもニュースに食い入るように見入っているうちに、ハワイの病室で静かにモニターの機械音を聞いている自分とのギャップが埋まってきて、ようやく「我が身に起こっているとんでもない事態」に気付いたのです。日本から出産の手伝いのために、ハワイに来ることになっている義妹と姪っ子が、まさにその時、JALの機中にいるではありませんか?! 「ど、どうしよう?」一瞬、全身の血がサッと引きました。「JALは日本の飛行機だし、まさかテロの標的になってはいないはず...」と自分に言い聞かせながらも、安否の確認の方法さえ分からず、途方に暮れてしまいました。その時点では、果たして飛行機が来るのか、または引き返すのかさえ分かりませんでした。「どうやって対処しようか?」。もう陣痛も何もかも忘れて考えました。「火事場のバカ力」とはこの事か、昔、旅行社のオペレーション業務で鍛えられた「カン」がとっさに蘇ってきて、ボ〜ッとしている夫を一瞥し、ベッド横の受話器を握りしめました。まず、日本の弟に連絡を取り、「日米両サイドから情報を集める事」と連絡の取り方を決め、旅行者と航空会社に勤めるハワイ在住の友人に連絡しました。朝5時にもかかわらず即座に電話を取った友人達は、仕事柄もう半泣きで巻き込まれたかもしれない知人の心配をしていました。「エ〜ッ、病院から〜?! エ〜ッ、陣痛で6時にはLDRに入るって〜!!」と叫びながらも、JAL88便の安否の確認、ホノルル国際空港に義妹たちを迎えに行く予定になっていた近所の友人への連絡など、一手に引き受けてくれたのでした。 ●臨戦態勢整うあまりの事に陣痛の痛みも吹っ飛び、待つこと1時間強... JAL88便は関西国際空港に無事に引き返したこと、友人への連絡も取れたことを、前述の2人が病室に連絡してくれました(Yちゃん、Sちゃん感謝!)。その間も、ニュースでは絶え間なく前代未聞の大惨事の様子が報道され続けています。その時感じた不可思議な感情は、今もって忘れることができません。何千人もの人達、その瞬間まで「死」とは無縁に明日を信じて生きていた多くの人達の生命が、一瞬にして訳も分からないまま「ブツッ」と途切れてしまったということ。時を同じくして、わたしはたった一つの生命をこの世に誕生させるために横たわっている... 凡人には計り知れないけれど、宇宙に流れる「生命の法則」があるのなら、今「死」を迎えたたくさんの生命と、わたしが大切に守り育ててきた小さな一つの生命には、どんな「つながり」があるのだろうか... その生命の哲学を解明することはわたしには出来ないけれど、周りの空気の中にまるでたくさんの生命が溶け込んでいて、一つの生命の誕生を祝福してくれているような、何か重くて大切なバトンを託してくれているような、敬虔で厳粛な気持ちに包まれたのでした。 こうして迎えた波乱の「9.11」の出産。6時に始まるはずの点滴も、なぜか8時近くまでずれこんで開始となったけれど(病院もハワイアンタイムで進行中... トホホ...)、無事にLDRに入室もできました。そして、担当の看護婦のジェニファーもやって来ました。ゴムまりのような体型で(ゴメンね〜、でもこうとしか書き様がないのよ)、とっても頼りになりそうです。さい帯血バンクのドナーであること、血糖値のモニターが必要なこと(この分野の主治医であるメリッシュ先生と連携をとっての分娩となる)、長女の出産の時の経緯など、必要なインフォメーションを口頭でやりとりし、ジェニファーがコンピューターに入力しました。万一彼女のシフトが終了しても、次の担当者が漏れなく引き継げるようになっています。準備万端、あとはともかく「頑張るのみ」。臨戦態勢は整いました。いよいよ、戦闘開始、出陣です!! (次回に続く)
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