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Akiko
人気連載「ハワイと日本、人々の歴史」

第4回 日本を愛し敬う大きな紳士、高見山大五郎さん

投稿者: Akiko 更新日:2013年10月25日

Hawaii-Japan: People's History vol.4 -Jesse Takamiyama

第4回 日本を愛し敬う大きな紳士、高見山大五郎さん

外国人力士第一号、マウイ島出身の高見山大五郎さん
ハワイ日本文化センターを訪ねた高見山大五郎さん
(写真提供:Japanese Cultural Center of  Hawai`i )

アロハ、Myハワイ編集長明子です。「ハワイと日本、人々の歴史」シリーズでは、観光地としてのハワイから一歩踏み込み、ハワイと日本をつなぐ人々に焦点をあて、その歴史を掘り下げて紹介しています。

ホノルル市モイリイリにある「ハワイ日本文化センター」、その中にひときわ立派な壁画があります。モデルは渡辺大五郎さん、といってもピンと来ない方も多いですよね。外国人力士のパイオニア、ハワイはマウイ島出身で、日本の角界で関脇まで上り詰め一世を風靡した、高見山関です(文中では、より馴染みある「高見山」のしこ名を使わせていただきます。)立派なもみ上げにオレンジ色のまわし、壁画の高見山関は、全盛期の姿のまま蹲踞(そんきょ)の姿勢をとっています。8月30日、ちょうど高校の卒業50周年同窓会で、ハワイを訪れていた高見山関自身がハワイ日本文化センターを訪れ壁画にサインを行い、ハワイのファンとのひと時を楽しみました。マウイから日本へ旅立ってからもうすぐ50年、日米親善に力を注ぎ、日本の人々からもハワイの人々からも愛される大きな紳士、高見山関をご紹介しましょう。

ハワイ日本文化センターに登場した高見山さんの壁画
高見山時代の壁画と高見山大五郎さん
(写真提供:Ray Tabata)

高見山関(米国名:Jesse James Wailani Kuhaulua)は、1944年マウイ島ハッピー・バレーに生まれました。ボールドウィン高校時代には、フットボールの選手として活躍。フットボール部のコーチは、ジェシー少年の下半身がやや弱いことに気付き、当時ハワイの日系人の間で非常に人気のあった相撲を練習の一環として取り入れます。なので、比較的早い時期から相撲に親しみ、地元のアマチュア相撲クラブにも参加。高校を卒業して州兵になろうとしていた頃、189cm、127kgと体格の良いジェシー少年は、師匠の高砂親方(元前田山)にスカウトされます。日本行きに際し、母のリリアンさんはとても心配したそうですが、ジェシー少年の友人たちが説得し、さらにハワイ州知事ジョン・バーンズ氏(当事)の後押しもあり、外国人力士として、初めて日本の土を踏むことになりました。

あたたかいハワイに親しんだジェシー少年にとって、日本の冬はことさら厳しいものでした。ちゃんこの味やまわし姿での早朝稽古にも少しずつ慣れ始めた1964年3月に初土俵。その3年後の1967年3月場所に十両に昇進。初めての外国籍の関取となりました。1969年に小結となり、1972年には、外国人力士として史上初の優勝を成し遂げます。翌場所には関脇に昇進。40才まで相撲を取り続けるのが目標だった高見山関ですが、1984年にどうにも力尽きて引退。その後日本に帰化し、引退後は年寄り「東関」を襲名しました。

高見山関、かつての弟子と共に
高見山関とかつての弟子たち
(写真提供:Japanese Cultural Center of Hawai`i )

慣れない日本、特に格式を重んじる角界での苦労はいかばかりだったことでしょう。しかし、高見山関は、日本での苦労や困難を一切他人には話さず、最愛の母の死も親方のみに打ち明け、場所が終わるまでは口外しないように頼み、黙って土俵に臨んだといいます。日本人の美徳である、義理や礼節を尊び、感謝の気持ちを忘れず、日本の角界に大きな足跡を残した高見山関。明るく優しい性格で、お茶の間の人気者にもなりました。

ハワイ日本文化センターで行われたイベントでは、ファンから、「外国人力士としての苦労はありましたか?」との質問が投げかけられました。それに対し、「私たち外国人は、人一倍努力しなければなりません。つねに尊敬の気持ちを忘れず、精進を続けていれば、日本の人々は私たちをあたたかく迎えてくれます。でも、努力を怠ったら、そこですべて積み上げてきたものは終わってしまいます」と答えました。さらに、「日本に帰化したことで、ハワイアンとしてのアイデンティティは?」との問いには、「聞くところによると、人は自分が帰属する場所の言葉で夢を見るとか。私は日本語で夢をみるんですよ。だからもう、私はすっかり日本人なんです」と、ユーモアたっぷりに答えています。

外国人力士の先駆者として、小錦、曙をはじめ、多数のハワイ力士を発掘し育ててきた高見山関。イベントには、弟子の高見州(Taylor Wily:Hawaii Five-0のカメコナ役で知られる俳優)、高見王(John Feleunga)、高見昇(狩野直志)の3名も駆けつけ日本でいかに高見山関に世話になったかを涙ながらに語る一幕もありました。

半世紀にもわたり、日本を愛し敬い、日米親善に力を注ぐ高見山関。ハワイを訪れた方はぜひ、ハワイ日本文化センターに、高見山関の壁画を見に来てくださいね。

取材協力:
Japanese Cultural Center of Hawaii:www.jcch.com

(2013年10月更新)

この記事が属するカテゴリー: 基礎知識, 歴史・社会・自然, 特集
関連キーワード: 日本, 紳士, 高見山大五郎,

9 responses to 第4回 日本を愛し敬う大きな紳士、高見山大五郎さん

  1. 皆さんのコメントにDedoooooです。
    明子さん、素敵なお話のシェアをありがとうございます!

  2. Iwaoさん、素敵な書き込みありがとうございます。確かに、高見山さんは私たちの心の中では横綱よりも大きな存在ですよね。これからもどうぞご愛読よろしくお願いします。

  3. 明子さんこんばんは!じっくり読まさせてもらいました。高見山関は相撲では関脇でしたが、みんなの心の中では横綱でした。
    ハワイスピリットと大和魂を持ち合わせ心の優しい方ですね。本当に尊敬しちゃいます。読んでてジーンと来てしまいました。
    写真3枚どれもとってもいい写真ですね。私の写真集の中にコピーしてもらってもいいですか?
    この素敵な話題提供も沢山の人に読んでもらいたいですね。明子さん素敵な記事有難うございます。マハロ

  4. 匿名さん、きっとグローブのような大きな手だったのでしょうね。笑顔にお人柄が表れていますよね。

  5. 匿名さん、高見山関の笑顔は、皆に愛されていましたよね。確かに、「トリス、日航、高見山」ですよね。アップダウン・クイズもかな?

  6. 以前、高見山大親方に握手して頂いた時、あったかくて優しい大きな手でした。お人柄を感じます。ずっと東関部屋を応援していますよ!

  7. 駅前のカフェで、不覚にも涙が止まらなくなってしまいました。
    高見山関は、勝っても負けても本当にみんなを楽しくさせてくれましたね。
    昔の子供が好きなのは「巨人、大鵬、卵焼き」と言われましたが、高度成長期にみんながハワイに憧れたきっかけは「トリス、日航、高見山」だと私は思っています(^^)

  8. ジーンと来ますね。ますます高見山親方のファンになってしまいました。

  9. 私が尊敬してやまない、高見山関です。実はFive-0のカメコナも、高見山関の弟子なんですよ。

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