金土日と続いたインターナショナル・ワイキキ・フラ・カンファレンスが終わりました。
今年も、参加者の75%は日本から、他に台湾、香港、ドイツ、スイス、アメリカ本土からは、カリフォルニア、フロリダ、アラスカからの方とお会いしました。
毎年、日本以外からはカリフォルニアと台湾からの参加者が多いですね。
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参加者に、どうやって今のハーラウに入ったのかと良く聞かれます。どうやって自分が慕うクムを見つければいいのかとも聞かれますね。
フラのハーラウに入門するのは自分がそこで真剣にフラに取り組む事を一生を通じて契約をするようなもの。もちろん、あわない場合や、様々な事情で変わることもありますが、できれば、同じハーラウにずっといたいものですね。
クムやフラ・ハーラウとの出会いは恋愛や結婚と同じような気がします。そのハーラウのクムとダンサー、クムの振り付け、ハーラウの雰囲気にビビビっときたらゴー!と思って良いのではないでしょうか。笑。
ちなみに、私は最初にフラを習ったのは日本で、日本人の先生でした。
その後、あるパーティーで、友人がフラを踊る姿を見てびっくりしてドキドキしたのを覚えています。今まで見たフラとは全く違ったのです。彼女のクムはマイケル・カッイリプーノフ・キャノピン、ハーラウはケアラカパヴァです。ハワイにもハーラウがあると聞き、戻る予定だった私はそこに移りました。移るまでに1年ほどのフラのブランクがあったと思います。
■クムフラ、マイケル・カッイリプーノフ・キャノピンのインタビュー
ハワイでは、ハーラウを変わる時は浄化期間を置きます。今までの知識は置いて、次のハーラウに真っ白な状態で入るためです。
両クムフラの了解を得るのも大切なポイントだと思います。ハワイのフラ界は深く繋がっています。ハワイアンはリスペクトを大切にしますから礼儀作法を重んじるのは良いことだと思います。
私がハワイに戻る時、クム、マイケルには事情があり、ハワイのハーラウを閉めることにしました。それを聞いた時、どれほどがっかりしたことか。。。
クム、マイケルは色んなハーラウをすすめてくださったのですが、決心できないでいました。
そんなある日、ハワイアンメンズ・クラブのパーティーに招待されました。
席につくと、ハーラウTシャツを着た男女がまかないをしてくれました。その方達の感じのいいこと!
最後にクムとハウマナ(生徒)がステージに上がって踊りました。クムと皆の穏やかな笑顔と素敵な踊りに釘付けとなりました。この時、このハーラウに入りたいと強く思うようになったのですが、クムのお名前もハーラウの名前も書き留めませんでした。
それから1年ほどたち、当時、私はノア・ノアのビーチウォーク店に勤めていました。もう、7年ほど前の話です。ある若い男性がお店にきて、自分のクムにドレスを買いたいと言うのです。彼はクムに本当にお世話になっていて、もうすぐ、初めてフラの雑誌のインタビューを受けるから、その時に着てもらいたいと言うのです。
とても感じの良い方で、彼のクムの名前を教えて頂きました。
又、数ヶ月がたち、友人が日本からのお土産にフラ雑誌「フラレア」を持ってきてくれました。そこに、なんと、私の憧れのクムが、あのドレスを着てインタビューを受けているではありませんか!
なんたる偶然。。。興奮しまくったのを覚えています。笑。
名前もハーラウの名前もこれでわかりました。嬉しくて嬉しくて、自分のブログにその事を書きました。でも、自分としては、クム、マイケルにも恩を感じていたので、お会いして、ハワイ校再開の予定はあるのかときちんと聞きたかったのです。
それから、数ヶ月後に私はフラ雑誌「フラヘブン」のライターになりました。そして、半年ほどして、編集部から連絡がありました。クム、カイリヒヴァ・ヴァーン・ダーヴァルの取材の依頼でした。インターネットで検索をしたら、日本語で彼女の事を書いていたのは私だけだったと。笑。ファンなのですね?是非とも担当してくださいと言われたのです。もう、悲鳴をあげて飛び上がりそうになりましたね。
これこそ、引き寄せの法則でしょうか〜?!運命を感じたものです。笑。
フラ競技会初出場にも関わらず、モキハナとキング・カメハメハと2連勝した、ハーラウ、カ・レフア・トゥアヒネのグレイシャス・レディスの取材依頼だったのです。
クム、ヒヴァをインタビューし、グレイシャス・レディスに接し、このハーラウに、このクラスに入りたいという気持ちが断然強くなりました。
又、数ヶ月がたち、以前、所属していたハーラウ、ケアラカパヴァ日本校がハワイ島ワイコロアで開催されるモクオケアヴェ・インターナショナル・フェスティバルに出場するのを応援に行きました。
コンペが全て終わり、クム、マイケルと話す機会があり、再度、ハワイ校を開校する予定はないのかと聞くとNOとハッキリおっしゃいました。。。
それならと思い切って「クム、ヒヴァをご存知ですか?」と聞いたのです。私が言い終わらないうちに、クム、マイケルは目をキラキラさせて「AYA、ヒヴァのところに行きなさい。彼女は美しいダンサーでもあるクムフラの1人だし、お父さんは偉大なミュージシャンのパラニ・ヴァーン、お母さんはハワイ語教師でハワイアン・クラフトのアーティストのイポラニ・ヴァーン、バックグラウンドも素晴らしいんだよ。」と強く勧めてくださったのです。
心の中ではヤッター!と叫んでいましたね。笑。
ハワイに住みながらもフラを続けるのは諦めようとしていた私。3年もかかりましたが、導かれるようにクム、ヒヴァに出会い、ハーラウ、カ・レフア・トゥアヒネ グレイシャス・レデイスのクラスに入ることになりました。
ハワイに来てから、人生に身を任せるのも悪くないな、そむかずに流れに乗った方が楽だなと思うようになりました。
今でも、もちろん、クム、マイケルとも連絡は取っていますし、ハーラウ、ケアラカパヴァにいた事を誇りに、そして感謝しています。
このブログを読んでいらっしゃる方にもハーラウを変わりたいとか、人生でも悩んでいる方がいると思います。自分の心に素直で妥協せずに意志を強く持てば、年月がかかる時もありますが、いずれは進むべき方向へ物事は動き出すように感じます。
写真は日本からのお土産、9月にモキハナで撮影した写真をキットカットにしてくれました。これで、私達も有名人?!笑。
Good Luck to You!!!
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