(⊹^◡^)ノo゚。*こんにちわぁ~*。♡
もうちょっとだけ古いお話にお付き合いくださいね。
留学当時は毎日がとても充実していました。
月~金は朝から夕方まで学校で授業を受け、帰宅後は宿題も予習も復習も必死でやり、(やらないと翌日の授業についていけないし楽しくないのでね)逆に週末は宿題もなく、先生から Enjoy!!と言って学校を送り出される日々。
どこへ行くにも徒歩かThe Bus。当時は確か$1で島内1周も出来たと思います。(現在は$2.50ですよね)
だからノースショアもカイルアタウンもアロハスタジアムも全部バスで。
ある日オアフ島の東海岸方面に遊びに行きました。
シーライフパーク、マカプウ岬やハナウマベイも行ったと思います。 朝から一日中遊んで、泳いで、そろそろ帰ろうと思った時には結構な時間になっていて 気がついたらワイキキに帰るバスがもうない!Σ(|||▽||| )
もちろんタクシーなんていないしどんどん暗くなってくるしお腹は空くし喉も乾く…
その時一緒だった友人と勇気を振り絞ってThumbs Up!!
とても不安だったのですが運良く1台のトラックが止まってくれました。
事情を話したら親切にも私たちをトラックの荷台に載せてくれてワイキキまで送ってくれたのです。
その荷台にはたくさんの果物や野菜、スナック菓子などが乗っていて、好きなものを食べていいよって言われてその時に初めて食べたアメリカンチェリーとオレンジジュースの味は忘れられません。
今でも初夏の頃アメリカンチェリーが日本で店頭に並ぶとまっ先に食べたくなるのです。
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その時の恩人は、名前は忘れましたが70歳くらい?の日系2世の方でした。
少し不思議な日本語とあちらからすれば私たちの不思議な英語とでいろいろとおしゃべりしました。
その方のご両親がハワイに移民して来られた1世で、ノースでグロサリー・ストア(以下grocery store)を開いていて、その日はワイキキからの帰りで…そう、帰り道だったから本当は反対向きなのに車を止めて私たちを拾ってくださったのです。
後で考えたら本当に命の恩人と言っても過言ではないくらいお世話になりました。
短い時間のわずかな会話の中にも日本に深い愛情と日本人であることにプライドを持っておられるのが伝わって、ハワイ移民の歴史についてほとんど知識のなかった自分が恥ずかしく、また当時の自分の恵まれた環境に改めて感謝しました。
余談ですが、ノースの有名なMATUMOTO SHAVEICEは、創業当時はgrocery storeだったのですよね…なんだか年齢もお顔もお話も似ている気がするんですけど…今となっては確認のしようもありません。
http://matsumotoshaveice.com/wp-content/uploads/2013/12/webpageTopLogoFull.png
それでは今日はこの辺で。 次回は最近のハワイの話にしようかな。
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