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AuntyAYA

ハワイからシリア難民をおもう。

投稿者: AuntyAYA
投稿日: 2015年09月17日
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最近、毎日のようにシリアの情勢とその難民の様子を報道していますね。

彼らの話を聞くとベトナム難民だった友人のエイミーから聞いた数々の話を思い出します。

彼女はベトナムから脱出してアメリカに来るまでの生活を地獄だったと言いながらも、おもしろ可笑しく、逞しく生き抜いた様子を話してくれるのです。

 

エイミーは今、ベトナムから様々な国に移り住んだ多勢の親戚とヨーロッパ旅行をしています。

初めてのファーストクラスの往復フライトなんだとはしゃいでいました。がんばり屋さんのエイミー、たまには仕事のことを忘れて羽を伸ばしてきてね。

 

スペインからフランスに入ったエイミーは、皆と不動産も幾つか所有しているパリの叔母のところに泊まっていると連絡がありました。

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Amy

 

そのエイミーの親戚を受け入れた国は様々。

戦争が終了する前に祖国を離れた人たちは中国へ。その他はカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、そしてフランス人との結婚によってパリに住むようになった叔母さんもいます。

 

そのパリ在住の叔母さんは幼少時代、フランスがベトナムを植民地化した頃、フランス兵に母親を目の前で暴行され、父親とともに殺害されたそうです。

その後、親戚に引き取られたのだけど、フランス統治下で生活が急変し、とても貧乏だったとか。毎日食べるのもままならない生活で親戚は13才の彼女を売ろうとしたそうです。親代わりの親戚に売られるなんて、なんとも悲惨な話ですね。

 

そんな時、ある年上のフランス人男性が叔母を見初めたそうです。彼はベトナム人だった奥さんを失くしたばかりで幼い子供2人と途方に暮れていたよう。人身売買ではなく、叔母さんに正式に結婚を申し込んだそうです。当時のベトナムは13才でも結婚できたとか。叔母さんを養っていた親戚に結納金を納め2人は無事に結婚できたそうです。

 

働き者の叔母さんは主婦としても母親としても、一生懸命に夫のためにつくしたそうです。事業で既に成功していたご主人と共にパリに移り、叔母が右腕となって、ビジネスはますますうまくいったそうです。ご主人は自分の人生で起こった最高の出来事が「エイミーの叔母と会い、結婚したこと。」と常々言っていたとか。

 

フランス人に親を殺害されたエイミーの叔母さんはフランス人に生きる幸せを教えてもらったようです。

 

どんなに真面目に生きていても戦争によって、容赦なく築き上げたものが全て崩れ落ちます。

移民大国アメリカには祖国では大学教授やお医者さんだった人が、まるで違う職業についています。でも、「今は平和。安心して家族と住めて幸せ。」と言い切る人が多いですね。

 

シリアは遠い国で、全てが遠いところで起こっていることと、つい思ってしまうのだけど、エイミーから聞いた話を思い出すと本当に人ごとではないのです。

 

1人でも多くのシリア難民の未来に光が差し込みますように。

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