10年以上前に、フラマスターのジョージ・ナオペ氏より「マカナオカラニ(天からの贈り物)」というハワイアン・ネームを頂いてから、正に天からの贈り物のように、次々と奇跡的な出会いや出来事に導かれ、これまでハワイ文化を学んでくることができました。今では私の人生の一部となっているハワイ語の世界と、ハワイアン・カルチャーの素晴らしさを、皆さんにシェアしていきたいと思います。第一回はこちら。
かずこセリッグの「ハワイ語の世界」 第2回 現代ハワイ語のパイオニア、プアラニ・ホプキンスとの出会い
●ハワイの言葉を勉強し始める ハワイに長期滞在し始めてからは、ハワイアン・カルチャーの講座を受けてみたり、時には数年前からお世話になっていたハワイ島に住むハワイアンの老夫婦に会いに行くなど、なんとも気楽な毎日を送っていました。その老夫婦の家に遊びに行ったある日のことです。私が「ハワイ語を勉強したい」と話したら、「それならオアフ島に住んでいる私の妹を訪ねるといい。ハワイ語を教えていたから」というのです。妹さんの電話番号をくれましたが、私はあまり気にも留めず、連絡もしなかったのですが、ある時その妹さんの方から電話がかかってきました。「兄さんからあなたの電話番号をもらったの。猫の世話をして欲しいんだけど、家に泊まりに来ない?」とおっしゃるではないですか。面白そうだなと思ったので、「いいですよ。猫好きだし」ということになり、その前に一度アラモアナで会うことになりました。 |
●ハワイアンの老夫婦が導いた不思議な出会い
妹さんはオアフ島カアアバに住んでいるのですが、わざわざバスで私のアパートがあるアラモアナまで来てくれたのです。アラモアナで、私のことをすぐに見つけた妹さんは、「プアです」と自己紹介をされました。とても優しく、聡明で、上品で、それなのに面白い冗談をたくさん言う、とても不思議な雰囲気のある素敵なハワイアン女性だったので、数日後、彼女の家を訪れるのがとても楽しみになりました。「何日か泊まっていきなさいよ」という、プアの言葉に甘えて、荷物をまとめ、カアアバまでバスに揺られました。プアは牧師さんである優しいご主人と年とった猫2匹に囲まれて暮らしていました。庭にも家の中も花がたくさんあって、特に入り口にある立派なプアケニケニの木と、あらゆる種類のジンジャーがひときわ目立ちました。リビングルームやその他の部屋はもちろん、シャワールームにまで、家中大きな花瓶にたくさんの花が飾られていたのです。プアは、家の周りをドライブして、それぞれの場所のことをおしえてくれたり、パンの実を料理してくれたり、庭のプアケニケニで一緒にレイを作ったり、本当に楽しい時間を過ごしました。プアの本棚にはたくさんのハワイ文化やハワイ語の本が並んでいました。「好きな本、何でも読んでいいのよ」と言ってくれたので、面白そうな本を探していると、見慣れたハワイ語の語学書があるではないですか。それは、私が日本で一人でこつこつ勉強していた本でした。 |
●ハワイ語の権威、プアラニ・ホプキンス
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不思議そうに見ていると「あ、その本ね。私が書いたのよ」とプアが言うではないですか! プアの本名はプアラニ。彼女があのハワイ語学習書の著者であり、現代ハワイ語のパイオニアであるプアラニ・ホプキンズだったのです! 「この本ね、内容はフィクションなんだけど、登場人物は実在の人なのよ」といたずらっぽく笑うと、家族写真がでてくる章を見せてくれました。そこには、私がよく知っているハワイ島のおじいさんの写真がありました。テキストのダイアログにも、おじいさんの名前が登場しているし。なんだかこの本を今までよりもずっといとおしく、身近に感じました。「これ書いた時、ラボでとったテープがあるから、一式あげるわね」と20本近いハワイ語の学習テープまで持たせてくれたのです。それからプアの家で過ごすことが多くなりましたが、ハワイ語は基本的には独学で、分からないときに質問するというスタイルだったので、やはり一度きちんと学校に行ってみたいという気持ちが強くなってきました。もうあまりお金が残っていなかったので、短期大学に入ったとしても卒業はできないだろうとは思いましたが、べつに卒業する事が目的ではなく、ハワイ語だけ取れれば満足なので、カピオラニ・コミュニティ・カレッジ(KCC)のサマースクールに入学。初級のクラスはテストでパスしたので、サマースクールの3ヶ月で短大レベルのハワイ語のコースを終了。ところが、なんと奨学金をいただけることになり、もっとハワイ語の勉強を続けることができるようになりました。ところが、上のクラスを取るには4年生大学に編入するしかないのですが、単位数が少なく、今の時点での編入はできないという規則があり、困っていたところ、サマーコースでお世話になったハワイ語の師、カヒ・カヘアラニのありがたい申し出で、インディペンデント・スタディー(マンツーマンのクラス)を1年間KCCで出来ることになりました。1年後単位数も増えたので、ハワイ大学に編入。奨学金で授業料はすべて免除になり、また、初めのクラスで出会った、ライアナ・ウォン博士(ハワイ語復興運動の第一人者)の家に微々たる家賃で下宿させてもらうことになったので、経済的な心配からも開放されました。また、ウォン博士の家族は全員ハワイ語が話せるという最高の環境だったので、ハワイ語の勉強に十分打ち込むことができました。学校に入った頃は短大卒業も無理だと思っていたのに、気がついたら、ハワイ大学修士課程を修了していました。現在は、インターナショナル・ワイキキ・フラ・カンファレンスの運営事務局に勤務したり、日本のフラ雑誌にハワイ語のコラムを連載するなど、ハワイ語は、すっかり私の人生の一部になっています。振り返ってみれば、私がこうしてハワイ語の勉強をしてこれたのは、奇跡のような人との出会いや、温かい支援ががあったからです。そして今では、これは奇跡ではなく、運命だったのだと思っています。(つづく)
※かずこさんは昨年11月にお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。
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