ハワイのホテル、グルメ、ショッピング、オプショナルツアーなどの旅行情報 ホノルルから「ハワイ観光に役立つ最新情報」を毎日更新

ハワイ歩き方事務局
人気連載「子連れママの留学生活」

2001-06-09 ジューン・ブライド

投稿者: ハワイ歩き方事務局 更新日:2001年06月09日

2001年6月8日 ジューン・ブライド


なんかどっかで聞いたようなタイトルだな…?子連れママの留学日記には似つかわしくないロマンチックな言葉であるが、何を隠そう、それは私のことである。ウン年前の6月8日、私は東京溜池の全日空ホテルにてジューン・ブライドになった。ダンナは商社、私は航空会社とどちらも派手な業界に身をおいていた為、かなり派手な挙式、披露宴だったと思う。私は客室乗務員として国際線フライトに乗務し続けていたし、ダンナは既に24時間戦うビジネスマンだったため、毎日顔を合わせるわけでもなく「あれ?髪伸びたね。」なんて会話がごく普通に交わされる、ちょっと変な結婚生活のスタートだった。

新婚旅行は往復ビジネスクラスでハワイ旅行。旅行先のホテルではラッキーなハプニングの連続(ホテル側のブッキング・ミス)で、シェラトン・ワイキキと神戸オリエンタルホテルのスィートルームに滞在することになる。航空会社のIDカードってもんは、水戸のご老公の紋章ほどにパワーのあるものだったのだろう。そしてそのIDと同じくらいパワフルなのが「ダンナの両親」。義母がアジアが大好きだったため、結婚して妊娠するまではまさに便乗海外旅行三昧だった。香港の二大ホテル、ペニンスラとリージェントにビジネスクラスで行く旅など、若い私たちにはあまり考えつかない豪華旅行をする機会も稀ではなかった。そんな、家計簿、炊事、子供など…普通の家庭生活とは縁遠い、ヤング・カップルお気楽ライフ。今思うとあの頃の私は別人だったと思う。なんで今、私はこんな貧乏学生してんだ?

いつかアグネス・チャンが子連れ留学生活について、テレビで「日本にいたらみんながちやほやしてくれて、でもアメリカで学生していると私はただのチビの大学生で…」、そう言っていたのを覚えている。私は芸能人ではないけれど、同じようなことを強く感じている。ハワイに来てからは「私はとても無力な人間だ」といつも思うのだ。人に助けられて、お世話になって、そうしないとどうにもならないことがあまりに多い。親兄弟は別にして、人のお世話になる必要はあまりなかった日本での暮らし。それは、すべてとは言わずとも、ほとんどがダンナのおかげだった。結婚記念日のプレゼントその1、ダンナは子育て以外は頼りになる(誉め言葉がプレゼント)。

年度末行事の嵐がすぎて、よしは幼稚園終了。この1年で、ワイアラエ・エレメンタリー・スクールとお友達にすっかり慣れ親しんだようだ。結婚記念日のプレゼントその2、よしの写真。お遊戯はやっぱりかわいいぞ〜。

8月からの秋学期は日本で単位稼ぎをすることを決意。夏休み終了後、日本に帰ります。仕事したいけど、あるのかな…。主婦しながら、ちゃんと勉強できるかな…。不安も多いが、少なくともしんどい子連れ留学ライフからはちょっとおさらばだ。この間にオンラインで単位を稼いで、確実に卒業に近づければ…そんなことができる「時代」と「技術」に、感謝。

今週の登場人物

よし- 私に「hippopotamus(カバ)」と言えという。私が「ひっぽっぽっ…(言えない)」というと、げらげら笑うイヤなガキんちょ。
ダンナ- 2歳年上、商社Eビジネスのやり手課長(だと私は聞かされている。真実は知らない)。こてこての関西人(「東京が長くて、すっかり東京人ですわー」とか言っている)で、心の底から商人。

子連れママのプロフィール

忙しさのあまり最近手抜きしていました。思い出アルバム、久しぶりの登場です。こちらはうら若き女性4人、ロスで遊園地の図。
日本で短大を卒業後、航空会社勤務。1997年8月三十路になった年、1歳11ヶ月になる子供の手を引いてハワイへやってきた。それ以来ハワイ大学の学生として、学期中(8月〜12月、1月〜5月)は主婦業をお休み(旦那は東京在住)、ママ業は手抜きで学業に励む毎日。全くのメカオンチであったがICS101という初めのコースをとってコンピューターに目覚め、それ以来ICS(インフォメーション・アンド・コンピューター・サイエンス)の学生としてプログラミングとグラフィック・デザインを学ぶ。将来は妻として母としてを優先しながらもプロフェッショナル・ワーキング・マザーでいたいと年甲斐もなく野望を抱いている。

この記事が属するカテゴリー: ハワイ留学・学ぶ・英会話
関連キーワード: 学生生活,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*


人気連載「子連れママの留学生活」


現地最新情報トップ5


前後の記事