Aunty Ayaのゆるゆる~な海のお話 第21回 ヨットマンの住職さん♪ (前編)
■コロヘ(いたずらっ子)な住職♪
私が最初にハワイを訪れたのは2000年、アサヒスーパーカップというヨットレースに参加する為でした。その頃に大変お世話になったのがゲンさんです。現在はご住職ですが、当時はロングバケーション中?! とのことでした。大学卒業と同時に長く厳しい仏教の修行をしたらしく、失った青春を取り戻すため、多数の車を所有し、春夏秋はヨット、冬はスノーボード三昧な日々を送られていましたね。私はゲンさんが所有するヨット「ラットパトロール」のクルーでした。「ラットパトロール」ってネズミのお巡りさんという意味、とてもお茶目なネーミングでしょ?! 本人いわく、「アルバイ」トの帰りに息をゼイゼイ切らせながらヨットハーバーに現れる事もありました。着替える時間もなかったようで、圧倒される豪華な着物姿に草履履きのゲンさんを見て「ほんまにお坊さんなんやね。」と言ったものです。いつも大勢の人に囲まれ、笑いが絶えなかったな。一緒に参加したアサヒスーパーカップは楽しかったのはいうまでもありません。初めてのワイキキの海の色に「これ、青インクを流してるんちゃうか~。」って感動したり、レース中にココヘッド付近でイルカの大群に遭遇してレースそっちのけで見入ったり。夜はあちこちと贅沢三昧に夕ご飯もごちそうになりましたっけね。そんでもって、ヨットレースも結構真面目に取り組んでいた…ってことに。あはは。 ゲンさんから昨年12月初旬、10年ぶりに電話がありました。同業者?! たちとハワイ入りし、ロイヤルハワイアン・ホテルでパーティーに参加中とのこと。あのピンクパレスに、着物に坊主頭(失礼!)がズラリと並んだ姿を想像するだけで迫力がありますね! ハワイでは毎年12月7日が真珠湾攻撃記念日です。ゲンさん達は70周年の式典に日本の代表として出席しました。私は仕事で行けなかったのですが、主人のお兄さんが参加。参列者数千人の中には第二次大戦の生存者も多数いたそうです。 ハワイにいると当時の様子を知っている方にお話を聞くことがあります。日ノ丸の軍機を見た日系人の方は父親の国の飛行機を見て嬉しくて手を振って追いかけるとしばらくして、ものすごい爆音が聞こえたとか。浅瀬の続くカネオヘ湾にはそれ以降、日本軍の上陸を恐れて海に防波堤を作ったものが今も残っています。過去のあやまちを繰り返さないようにと心に深く刻む日でもありますね。 (2012年1月更新) |
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