■メリモ、行かせていただきます!
日本はだいぶ寒くなってきましたねぇ。実は私は、またまたジャパーンに来ております。10月の日本でのフラ公演を終え、どうしてもはずせない仕事のために一度ハワイへ戻り、仕事をやっつけてダーリンと共に、再度ジャパン入りいたしました。
実はダーリンは、私の家族に会った事がないまま結婚してしまったので、紹介を兼ねて一緒に帰国。まぁ、普通だったらありえないでしょうが、私のビサの関係や、祖母が100才にして病院にいるなどいろいろ諸事情がありまして、今回初お目見えとなりました。私には3年振りの実家なのでダーリンを一足先に返し、日本を満喫しております… がそろそろハワイが恋しいかな。
日本に長居しても、私のフラ・ハラウは日本校があるので、レッスンには参加できます。逆にハワイに来る日本校生徒も、ハワイ滞在中はハワイ校に参加することを、許されています。私が日本でのんびりしている間も、ハワイ校は大忙し。11月にはマウイ島で、クリスマス・コンサートがありました。もちろん私は日本なので不参加でしたが、みんな10月の始めに日本公演を終え、間髪入れずに今度はマウイのコンサート。いやー、2008年はメリーモナークから始まり、キング・カメハメハ、ホイケ、フラ・ホオラウナ、日本公演、マウイ・コンサートとフラに大忙しの1年でした。そして年が明けたら、またメリーモナークに向けてのレッスンが始まるのです。たぶん、他のハラウは、とっくに曲が決まっていて、練習に入っているんだろうな〜…
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しかし、私のハラウは、クムの方針からその年の1月からスタートなのです。クム曰く、「普段からきちんとレッスンに励んでいれば3ヶ月もあれば十分だ」とのこと。まあ、ごもっともと言えばそうなんですが、これが結構きついんです。そして出れるのか出れないのかも、暮れから正月明けくらいにかけ、電話もしくはメールにて連絡があります。私が初めてクムよりメリーモナークへ招待されたのは2005年でした。ハラウに入って3年目の2004年の暮れ、この年はオアフ島のハワイ・シアターにてクリスマス・コンサートがあり、その練習の最中クムが私に近づいてきて、「君に話がある、レッスンが終わったら私の所へ来なさい」と。私の周りにいたフラシスターは「何やったのぉー? こわーーーい!」私も内心ちょっとドキドキ。個人的に呼ばれて話をするなんてまずないですからね。気もそぞろなままレッスン終了、クムの元へそろそろと近寄って行くと、クムが一言、「君をメリーモナークへ連れて行く」。その瞬間、私のつぶらな瞳は、驚きのあまり確実に5倍は大きくなっていたはずです。そして、思わずクムに抱きつきました。何度「Thank you!」と言ったか覚えていません。ふと振り向くと、興味津々で待ち構えている日本人フラシスターたち。みんなの元へ向かいながら私は、正直に話すべきか、なんとなく濁して報告するべきか、そこへ行くまでほんの数秒でしたが物凄い勢いで色々なことが、頭の中をめぐりめぐっていました。嬉しいのはやまやまですが、なんせ初メリーモナーク、どんな練習でどこまで着いていけるか、果たして無事に舞台へ立つ事が出来るのか、喜びと不安で何がなんだか解らなくなっているまま、みんなに囲まれた私は「メリーモナーク…」と呟きました。みんなは「きゃー、おめでとう!」と、大騒ぎです。なんだか照れくさかったのを覚えています。その帰り道、車の中からどうしても伝えたかった2人に電話を入れました。まずはダーリン。彼はハワイ産まれですが、フラには全く興味がないけど、やっぱり最初に伝えなくちゃと報告。もう一人はハワイに来てからずっと私を応援し続けてくれたお友達、Hale Noeauのオーナー由美ちゃんです。彼女とはハワイに来てから知り合ったのですが、つらい時や淋しい時いつも助けてくれました。もちろんこの報告に2人ともとても喜んでくれました。
(つづく) (2008年12月更新)
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