Kyoko & Akiko's "Mahalo Hawaii" vol.15 Hawaii's Local Fashion
話題の人気ショップよりも、近所のパパママストアや老舗店をこよなく愛し、サイミンにはからし醤油をつけ、キカイダーに敬意を払い、ピジン英語もお手のもの …。そんなハワイのローカルライフにどっぷり浸かったライターのキョーコとMyハワイ編集部明子が、ハワイへの感謝の気持ちをこめてお送りするこのシリーズ! 観光情報とはひと味ちがう、目抜き通りから1本奥に入った知られざる、そして愛すべきハワイのローカル情報を1つのテーマで競作いたします。
■先攻・明子:ハワイならではのファッションとは?
今年は日本の家族が入院したりと、何かとハワイと日本を往復することが多かった私です。そのたびに「うーん」と頭を悩ませたのが、「どのような洋服を着たらいいか?」ということ。夏服はまだしも、ハワイで冬服を着ることなどはまずありませんから、冬服をそろえないといけないわけですが、これがあまり売っていないのですよ。ようやく見つけた冬服も、なんだか日本の洋服とはカッティングや見せ所が違うように思います。
バブル世代の私は、日本で言うとまさに「中年」なわけですが、日ごろハワイで着ている洋服は、日本の同世代の皆様と決定的に何かが違うような。アメリカ(ハワイを含む)の洋服は、わりと胸元が開いていたりします。日本の洋服はとても縫製がきちんとしていて、どちらかというと「コンサバまたは可愛らしい」ものが多いように思います。
コンセプトが根本から違うため、ハワイの洋服を日本で着たら何かが違い、日本の洋服をハワイで着たらこれまたしっくり来ないという事態に陥るわけですね。
たぶん日本の服装でハワイのカジュアルな場に行けば「オーバードレスド(着飾りすぎ)」ということになるでしょうし、逆にハワイのカジュアルな服装で日本に行けば「アンダードレスド(ラフすぎ)」ということになるかと思います。どちらも気まずいものですよね。
ハワイの人々はパーティーなどでは本当に美しく着飾りますが、日常はとってもカジュアル。Tシャツやタンクトップにジーンズ(またはショートパンツ)、足元はビーチサンダルまたはスニーカーというのが基本形ではないでしょうか?
我が家では、お出かけするときなど、夫がかならず「ファンシーパンツ OR プカパンツ?」と聞いてきます。ファンシーパンツとは、アロハシャツなどのきちんとした服装のこと。別にパンツについて言っているのではなく、ファンシーパンツというのはアメリカの慣用句で、「ファンシー(小奇麗な)なこと、ファンシーなもの」という意味です。
これに対しプカパンツとは、「プカ(ハワイ語で穴という意味)が空いたパンツ」というわけで、その名の通り、気を使わない普段着ということですね。さらに、大掃除のときに着るような服は、日系人が多いハワイならではでしょうか、「ボロボロ(単数形)またはボロボロス(複数形)」と呼ばれます。
さすがにボロボロスを着ることはあまりありませんが、仕事から帰ったら、即プカパンツに着替え、心の底からホッとする私です!
■後攻・キョーコ:服の趣味がすっかり“ローカル化”
明子さん、ワタクシも日本に帰省するたびに、姉たちから服のセンスを指摘され、「そうなのか〜」とすでに服の趣味がすっかり“ローカル化”していることに気付かされます。
今回は初夏に1カ月ほど帰省しましたので、姉たちといろいろ服を見て回ったのですが、ワタクシの着ている服はどれも胸元がビローンと開きすぎ、ということが判明。さらにそのせいでワタクシの胸元がハワイの強い日差しを浴びすぎて、「シミだらけ」ということも分かり(って、自分で気付けよ)ました。
「もう手遅れよ」「どーすんの〜」と姉に脅かされながら、胸元の開いていないブラウスを探していたワタクシでございます。
確かにこの10年ぐらい、ブラウスよりちょっと丈が長く、ワンピースよりは短いチュニックというスタイルのトップスを好んで買っております。裾の部分がゴム状になっていて、(年々大きくなっていく)尻がうまく隠れるようになっている、中年女性には非常にありがたいデザインでございます。
気付いたら、色違いでこんなに買っていました。残念なことにハワイで売っているチュニックは、胸元がビロビロに開いているのでございます(気付かなかったのですが)。
姉から指摘されて以来、ローカル女性の胸元をチェックするようになってしまったのですが、やはりビローンと開いているトップスの着用率高いです。胸の谷間が見えるほどのセクシーママも少なくない。これだけ“谷間”に日々囲まれていますと、感覚が麻痺してくるのでしょうね、きっと。外出時は胸元にも日焼け止めを忘れない最近のワタクシでございます。
さてハワイで暮らすうえで、1枚は持っていたい服はやはりムームーでございましょう。結婚式、お葬式にでも着用できます。「アロハ正装でお願いします」というイベントも多いのでマストアイテムでございます。結婚している方、恋人がいる方でしたら、ペアで持っているとよろしいかと思います。
ワタクシも夫のアロハシャツとペアのムームーを持っています。
ただですね、一緒に着ていったことがありません。こっぱずかしいのです。ワタクシたち夫婦のキャラではないですね、ペアルックは。
そしてムームーですが、バイキング形式の食事に行くときも重宝します。デザートの前にジーパンのボタンを外したりしなくてよいからです。「食い放題ならムームー」はハワイ女子(とくに中年)の常識でございます。
ムームーの話のついでに、男子のアロハシャツについてワタクシの考えを述べさせていただきますと、ダウンタウン地区勤め人はズボンの中にきっちり入れており、ブラダ(ブラザー、あんちゃん、チョイ悪)系の男子はほぼ100%の確率でシャツを外に出しています。
夫ははるか昔、きっちりとズボンの中にシャツインのスタイルでしたが、20年ぐらい前から「シャツは外」を貫いております。夫にそのことを指摘しましたら、「太ってしまったからだ。悪いか」ですと。アロハシャツの着方はダウンタウンのサラリーマンやブラダ系などとは無関係で、単に「太ったら外」だったのですね。失礼いたしました。
ちなみにデイビッド・イゲ州知事(左)、カーク・コールドウェル・ホノルル市長もシャツインでございました。シャツ出しも時間の問題ですね、知事。
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キョーコのプロフィール
神奈川県の鵠沼生まれ、茅ヶ崎育ち。丙午のバブル世代。
1988年からハワイ在住。日本語が飛び交わない米本土の田舎町に留学しようとしたが、父親に猛反対され、交渉の末に決まった留学先がハワイ。
家族
学生時代に知り合った韓国/日系4世の夫と、40歳目前でやっとこさ授かった娘の3人。大規模な再開発計画が進行中のオアフ島カカアコ地区在住。
ローカル歴
1991年からハワイ観光局マーケットリサーチ部にインターンとして勤務、翌年からフルタイムのアジア太平洋地区担当職員に採用される。ローカル率95%の職場で、ハワイアンカルチャーやピジン英語、さらには「仕事は楽しく、職場にはおやつ常備」の精神を学ぶ。
入社5年後、マーケットリサーチの仕事が外部委託されることになり、部署解散。翻訳業などを経て、1998年から創業1912年の日本語新聞社「ハワイ報知」に編集部員として勤務。日系退役軍人や県人会、ゲートボールクラブ、舞踊団体、文化交流グループ、日系食料品店など、さまざまな分野の取材を通じてローカルライフにどっぷりと浸かっていく。
ハワイに支部がある日本の俳句結社「ゆく春」の主宰と取材を通じて知り合い、俳句に魅せられる。数年に渡る主宰からの添削指導を受け、時間のあるときに「ハワイ歳時記」をもとにハワイらしい俳句をぽつぽつと詠んでいる。最近短歌をはじめた明子女史にライバル意識をメラメラと燃やしている。
2013年思い切ってフリーランスに。ハワイ報知のほか、ハワイアン航空機内誌「ハナホウ」やMyハワイなどでローカル情報やハワイアンカルチャーに関する記事の執筆、翻訳作業に関わる。
好きな言葉
ハワイアンスタイルバンドのヒット曲のタイトルにもなった“live a little(もっと人生楽しもう)”。更年期とミドルエイジクライシス(中年の危機)に陥り気味の自分に言い聞かせている。
キョーコのブログはこちらからご覧ください。
明子のプロフィール
福岡県福岡市生まれ大阪府堺市育ち。
現在はオアフ島モアナルアバレー在住。同じくバブル世代。1999年からハワイ在住。
家族
夫(中国、ポルトガル系、その他もろもろ。ハワイ島カウ生まれ、オアフ島パウオアバレー育ち)。義母(ポルトガル系。ハワイ島カウ生まれ)。子なし。
ローカル歴
大伯父2人がハワイ島のプランテーションに移民。1人は日本に戻るが、もう1人は契約終了後もハワイに残り、オアフ島で内装業を営む。子ども時代より、大伯父から送られたマカダミアナッツなどに親しみ、ムウムウ着用。大学時代、オアフ島リーワードに居住していた叔母の家を訪ね、一瞬でハワイの虜に。将来ここに住むと一人誓う。
1994年、語学研修にハワイへ。3ヵ月のつもりが縁あって1年半滞在。その後就職し貯金に励み、1999年ハワイ大学(UH)アジア太平洋研究科に入学。大学&大学院と通算7年通う。学生時代にMyハワイ(当時はハワイの歩き方)にて、大食いクラブ会長A子の名前でB級グルメ情報やB級生活情報などを連載。ハワイのパパママストアをこよなく愛するようになる。
並行してハワイ出雲大社でボランティアをはじめ、その縁でHawaii Pacific Pressでインターン&弟子生活。弟子生活は10年以上にも及び、442連隊、MISなどハワイならではの歴史に心惹かれるようになる。また、YOH(ヤング・オキナワンズ・オブ・ハワイ)という盆ダンスクラブにも加入。退部した今でも沖縄系の盆ダンスの振り付けはばっちりで、あまりの踊りっぷりに驚かれること多数。
某取材でキョーコさんを紹介され、年齢が同じ&共通点多数で意気投合。Myハワイに誘う。紆余曲折を経て、今回の連載が実現。キョーコさんの俳句に対抗したわけではないが、昨年、隔月短歌同人誌「ふゆみどり」を何気なく手に取りいたく感激、ハワイ短歌会に入会。久々の若手気分を味わっている。
好きな言葉
“If can can if no can no can (やれたらやるし駄目なら駄目、気楽に行こうぜ的なピジンのスラング)”。
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