Celebrating Our Local Heroes
4月11日(金曜日)、ホノルル国際空港にハワイ出身の2人の著名人を展示するコーナーが設けられました。この2人というのは、アメリカ合衆国上院議員のダニエル・K・イノウエ氏と、昭和の時代に日本のプロ野球界で活躍したウォーリー・ヨナミネ(与那嶺要)氏です。これを記念して式典、「Celebrating Our Local Heroes(セレブレーティング・アウア・ローカル・ヒーロー)」が催されました。(上の写真はヨナミネ氏夫人とご子息)
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式典には、ハワイ州のツツイ副州知事、イノウエ氏夫人で米日カウンシル会長のアイリーン・ヒラノ・イノウエ氏(上写真左)、ヨナミネ夫人とご子息、知人や関係者らが出席しました。日本で活躍したハワイ出身のアスリートの1人、元大関Konishiki氏(上写真右)の姿も見られました。
ツツイ副州知事が、2人ともそれぞれ違う人生を歩みながら、偏見や逆境を乗り越え生涯のキャリアを通して人と人を結びつけることを成し遂げた真のヒーロー。そして、2人とも自分たちの故郷ハワイのことも忘れてはいなかった、とコメントしました。
イノウエ夫人は、2人とも偉大な人物でありながら、自分が人より勝っているという態度は決して見せなかった、と話しました。また、「ダンは自分の展示がお寿司屋さんの前に出来て、きっと天国で喜んでいると思います。彼はローカル・フーズが大好物で、ハワイに戻ってくると必ず食べていたんですから」とユーモアたっぷりに話し、夫の記念すべき日を祝福しました。
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ウォーリー・ヨナミネ氏は、ハワイのマウイ島出身で、日本とアメリカが戦った第二次世界大戦後の1951年に、初のアメリカ人プロ野球選手として日本に渡りました。アメリカ人であるというだけで世間の風当たりも強かったであろう当時の日本で、偏見を乗り越え、巨人、中日ドラゴンズでは選手として大活躍しました。1972年には中日ドラゴンズで初の外国人監督もつとめています。
現役中には数々の賞を獲得。ヨナミネ氏の息子のポールさんは、「小さい頃どうしてこんなに家にトロフィーがあるのかな? と思っていた…それを今このような形で皆と分かち合えて嬉しい」と言います。
ヨナミネ氏のコーナーには、プロ時代のユニフォームや数々のトロフィーがディスプレイされています。リタイア後はハワイに戻り、与那嶺財団を成立し、生涯ハワイの青少年の野球選手の育成などに貢献しました。
同時代にハワイという場所に日系人として生まれ育ち、ハワイの外で活躍し地元にも貢献した2人のヒーローたち。展示は、ホノルル国際空港2階の出発ターミナルの24番、25番ゲートの側に設置されています。ハワイからご帰国の際にぜひ見てみてくださいね。
(2014年4月更新)
Maki said on 2014年04月30日
匿名さん、今後ハワイにいらしたときにぜひまた見てみてくださいね。
匿名 said on 2014年04月29日
19日から26日までオアフ島へお邪魔をいたしましたが申し訳ない巨人ファンとしてホノルル空港で見ることができなかった、巨人軍が今のようになったのも先人のおかげであり感謝しなければならない。
Eriko said on 2014年04月20日
まっくすさん、コメントどうもありがとうございます。そうなんですよ。イノウエ氏が亡くなられた時にはハワイ全体が追悼しました。2人ともたくさんのハワイの人たちに愛されているヒーロー的な存在なんですよ。展示ぜひごらんになってくださいね。
まっくす said on 2014年04月20日
一昨年の12月下旬にオアフを訪れた際に、公共施設の国旗が半旗になっているのを見て現地の友人に理由を尋ねたら井上さんが亡くなったと教えられました。ハワイの方にとっては皆が知っている人物だったようですね。9月下旬に訪れる予定ですので帰国時に見てみたいと思います。