Hawaii Golfers will Miss Pearl Open
■私たちのマスターズとして、ハワイと日本の人々に愛された大会でした
「私たちのマスターズ」として、ハワイと日本の人々に愛され、毎年この時期にオアフ島アイエアのパール・カントリー・クラブで開催されていたゴルフ大会「パールオープン」が、35年の歴史に幕を閉じ、今年から開催されないことになりました。 パールオープンは、世界のホンダとして良く知られる、本田技研工業の創始者であり最高顧問の地位にあった本田宗一郎氏が荒れ放題だったパール・カントリー・クラブを再建し、スタートした大会で、本田氏の尽力で日本とハワイの架け橋とも言うべきゴルフ大会に成長しました。地元のゴルファー達の登竜門的大会としても良く知られており、デビッド・イシイ、ミシェル・ウィーやタッド・フジカワらのハワイの若手ゴルフ選手が華々しく活躍してきました。日本からは、横峯さくら、石川遼、池田勇太などが登場、好成績を収めています。 パールオープンが35回をもって終了した理由は、主に財政的なものが原因ということですが、地元ゴルファーの間では、同大会を懐かしむ声が多数寄せられています。 |
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