The Black Canteen Ceremony held at the 73rd Anniversary of Pearl Harbor
太平洋戦争の始まりとなった真珠湾攻撃から73年目にあたる2013年12月7日(日)、オアフ島のパールハーバー(真珠湾)では一日を通じて、数々の追悼式が執り行われました。 同日11時30分には、パールハーバーヒストリカルサイト内のアリゾナ記念館で、静岡県の菅野寛也医師(写真左と右は菅野夫人)による「黒焦げの水筒」慰霊祭が行われ、私たちMyハワイ編集部員も参加してきました。 ■関連記事/【オアフ島ガイド】終戦記念日にパールハーバーを訪れて…
「黒焦げの水筒」は、約2000人の犠牲者を出した静岡大空襲の翌日である1945年6月20日にB-29の墜落現場で発見された米兵の遺品の一部で、真っ黒に焦げ持ち主が握り締めた手のあとが生々しく刻まれています。このとき墜落した戦闘機には23人の米兵がおり、 この黒焦げの水筒を入手した伊藤福松氏は、空襲の犠牲者とB-29の搭乗員の2つの慰霊塔を賎機山山頂に建立し、後に日米合同慰霊祭を始めました。 菅野医師は12才のときに空襲を体験、21年前に伊藤氏からこの水筒を受け継ぎ、以来日米慰霊祭を行っています。2011年より太平洋戦争開戦の日には毎年、菅野医師は日本から持ってきた水筒を使いこの真珠湾でも慰霊祭を行っています。
式典には、菅野医師夫妻のほかに、太平洋航空博物館パールハーバー館長のデホフ氏、ナショナルパークサービスのヒストリアンのマルティネス氏、在ホノルル総領事の重枝氏や退役軍人の方々なども参加しました。慰霊祭では、菅野医師とデホフ氏らがスピーチをし、アメリカと日本は昔は敵国でしたが、今は力を合わせて平和のために貢献することを誓いました。
スピーチの後は、黒焦げの水筒からハワイ海にバーボンウイスキーを献酒する儀式が行われました。これには平和、戦没者たちへの敬意、和解、と3つの意味がこめられているのだそうです。
式典が終了すると、一般者を含める参列者全員が、用意されたプルメリアの花を海に撒きそれぞれ平和を祈りました。参列者の中には感極まって涙している人も見られました。
清清しく晴れ渡った秋空の下このようなこのような貴重な式典に参加する機会を与えられ、パールハーバーの青く美しい海を眺めながら、苦難な歴史を乗り越えて来たからこそ今の平和があるのだな、これからは私たちが守る番、と再認識させられました。
場所:1 Arizona Memorial Place Honolulu, HI 96818 ●太平洋航空博物館パールハーバー
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