Oahu Guide : Visiting Pearl Harbor on anniversary of the end of World War II
終戦記念日の8月15日(ハワイ時間、日本では終戦記念の翌日)に、オアフ島のパールハーバー米海軍基地(真珠湾)で、パールハーバー・ガイドツアーに参加する機会に恵まれました。今回私たちが参加したツアーは「真珠湾のヒストリカル・ツアー」という特別に組まれたツアーで、通常のパールハーバー見学では見ることができない場所なども案内してもらったので写真と共に紹介していきたいと思います。
パールハーバーとは… ■関連記事/第7回 あれから72年、ハワイの真珠湾では今…
午後4時、パークの船着場から渡し舟に乗り込み、まずはフォード島へ。フォード島は真珠湾攻撃当時、海軍の戦艦や潜水艦の駐屯地、太平洋の中心に位置する戦略基地として使われていたため、真珠湾攻撃の際は一番最初に空爆の重要な標的となった場所です。現在は軍用施設として使用されています。 ■関連記事/太平洋航空博物館パールハーバー
パールハーバーには数ヵ所に5つの記念碑(USSアリゾナ、USSネバダ、USSオクラホマ、USSミズーリ、USSユタ)があります。今回のツアーでは全ての記念碑を案内してもらいました。写真上はその1つである、USSユタの記念碑です。フォード島の敷地内に位置しているこの記念碑のすぐ側の海面に、真珠湾攻撃の際に撃沈された生々しい船の残骸が浮かんでいたのが印象的でした。ちなみに私自身もこれまで何度かアリゾナ記念碑を訪れましたが、全ての記念碑を見学できたのはこれが初めてです。
パールハーバーのエアコントロールタワー(管制塔)です。真珠湾攻撃が始まった際、最初の警報を発信した事で知られています。見覚えがあると思った方いませんか? そうです! 三船敏郎主演の映画「トラ!トラ!トラ!(1970)」やハリウッド映画「パールハーバー(2001)」にも出てくるあのタワーです。
戦艦ミズーリ号です。終戦直後の1945年9月2日、マッカーサー陸軍元帥がこの船上で降伏文書調印式を行った、日本の歴史上に重要な意味を持つ船です。アメリカ海軍が完成させた最後の戦艦であり、「Mighty Mo(マイティ・モー)」というニックネームで、太平洋戦争、朝鮮戦争、湾岸戦争を経て、1991年に真珠湾50周年記念へ参加することで最後の仕事を終えました。現在は「戦艦ミズーリ記念館(USS Missouri Memorial)」として一般公開されています。
真珠湾攻撃は、1941年ハワイ時間の12月7日午前7時55分に始まりました。攻撃を受けた軍艦の中でも最も被害が大きかったのが戦艦アリゾナでした。アリゾナ記念館はその戦没者を慰霊して建てられました。 ■関連記事/真珠湾攻撃から70年、アリゾナ記念館で「黒焦げの水筒」慰霊祭
アリゾナ記念館は、海底に沈んでいる戦艦アリゾナのちょうど中間に建っています(写真上)。私たちの下には、船と一緒に没した兵隊たちが眠っていると思うといたたまれない気持ちになります。
記念館の一番奥は戦没者名簿の部屋です。ガイドさんの話によると、当時は兄弟で同じ船を志願する人も多く、アリゾナにも37組の兄弟が乗っており、うち23組の兄弟が真珠湾攻撃で命を落としたそうです。父と息子も1組いたといいます。真珠湾攻撃以降は、アメリカ政府は兄弟で同じ船を志願することを勧めなくなったそうです。希望によっては、アリゾナの乗務員であった退役軍人の軍葬もこの場所で行われています。
真珠湾攻撃の日は出航に備えて重油が満タンだったため、撃沈された船からはオイルが70年経った今でも海に流れ続け、「アリゾナの涙」「黒い涙」とも呼ばれています。上の写真は、海底に沈んでしまったアリゾナ号の残骸です。アリゾナ記念館から右側の海面に見ることが出来ます。
午後5時30分の真珠湾。約1時間半のツアーを終え、アリゾナ記念館と戦艦ミズーリ号を後に、私たちを乗せた船は船着場に戻ります。 帰りの船の中でガイドさんが、アリゾナ記念館が建設された当時の話をしてくれました。1958年にアイゼンハワー米大統領が条例に調印してアリゾナが国立記念館に認定されました。びっくりしたのは、その際資金を募った中に意外な人物がいたことです。ロックの王様エルビスです! 陸軍で兵役を終えたばかりのエルビス・プレスリーが1961年にパールハーバーでコンサートをして$5万以上を募り、記念館設立のために約$6万ドルを寄付したそうです。翌年の1962年に記念館は完成し、毎年100万人以上の人々が訪れています。
【パールハーバーのツアーを終えて…】 パールハーバーを訪れる日本人の観光客は比較的少ないと聞きます。私たちの今回のツアーの時もほとんどみかけませんでした。 私は日本人として、アメリカ人にももっと広島や長崎の原爆資料館を訪れて欲しいとも思うのと同じに、日本の人たちももっとパールハーバーを訪れて欲しいと思っています。なぜそう思うかと言うと、教科書や授業では習わない歴史が学べる場所だからです。アメリカの学校で原爆のことについて詳しく語らないように日本でも同じことが言えるでしょう。過去から目を背けるのではなく自分たちの国が戦った歴史を深く知ることも、戦争の起こらない平和な世界作りに必要なのではないでしょうか? パールハーバーは第2次世界大戦が始まった場所として、日本人にもアメリカ人にも、そしてハワイに数多く在住している日系アメリカ人たちにとっても運命を変えた、忘れられない場所なのです。戦争を語ってくれる人々が高齢化した今だからなおさら若い世代の日本人にも訪ねてほしいと思います。(編集部員 えり子)
◎パールハーバー・ビジターセンター ●太平洋航空博物館パールハーバー
●車でお越しの方は、無料駐車場が入って右側にあります。 |
Eriko said on 2014年09月05日
匿名さん、ほんとにそうですね。
匿名 said on 2014年08月29日
醜い戦争は、もうこり。ごりですね