真珠湾攻撃から70年、アリゾナ記念館で「黒焦げの水筒」慰霊祭
Ceremonies at Ford Island and Arizona Memorial, Pearl Harbor
■赦しと平和への祈りで日米の心がひとつに
真珠湾攻撃から70年目の日にあたる2011年12月7日(水)、パールハーバーでは一日を通じて、数々の追悼式が執り行われました。 午前11時からは、真珠湾攻撃70周年記念式典の一貫として、太平洋航空博物館前の修復中であるフォードアイランド管制塔の第1工程の安定化作業が終了の献納式が行われました。 午後1時からは、アリゾナ記念館にて、静岡県の菅野寛也氏が空襲時の米兵の遺品であり、今では平和のシンボルとなった「黒焦げの水筒」を持参し、日米の参加者が見守る中、バーボンウイスキーを海に献酒するという慰霊セレモニーを執り行いました。 「黒焦げの水筒」とは、約2000人の犠牲者を出した静岡大空襲の翌日である1945年6月20日にB-29の墜落現場で発見された米兵の遺品の一部でした。水筒は、黒焦げで、それを握っていた持ち主の手の跡が生々しく刻まれています。
このとき墜落した戦闘機には、23人の米兵がおり、 この黒焦げの水筒を入手した伊藤福松氏は、空襲の犠牲者とB-29の搭乗員の2つの慰霊塔を賎機山山頂に建立し、後に日米合同慰霊祭を始めました。 12才の時に空襲を経験した菅野氏は、伊藤氏から20年前にこの水筒を受け継ぎ、これまで日米慰霊祭を行なってきました。 菅野氏は、「死んだら、敵も味方もない。この人たちも犠牲者なのだ」と米兵を手厚く葬った伊藤氏の気持ちを代弁し、また「試験の前などに緊張すると、空襲のトラウマが蘇った。この慰霊祭を続けることは、私自身の癒しにもなっていたかもしれない」と振り返りました。アリゾナ記念館で行われた菅野氏を迎えた献酒セレモニーでは、米軍関係者が「同じ様な状況でわれわれに同じことができたかどうか、考えさせられる」とコメントし、日米間の赦しと平和への祈りが捧げられました。 |
●アリゾナ記念館
●太平洋航空博物館 場所:Hanger 37, Ford Island, 319 Lexington Blvd. Honolulu, HI 96818 入館券の購入: オンライン www.pacificaviationmuseum.org/jp |
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