ハワイのスポーツ界の先駆者、ウォーリー・与那嶺氏亡くなる
Hawaii Sports Pioneer Wally Yonamine Passed Away
■読売ジャイアンツと中日ドラゴンズで活躍
与那嶺氏は、ハワイのマウイ島オロワル出身。マウイのラハイナとオアフ島のファーリントン高校でも万能選手とて大活躍し、1947年にサンフランシスコ49ナーズにプロ・フットボール選手として入団、またサンフランシスコ・シールズやソルトレイク・シティ・ビーズでプロ野球選手として活躍しました。1951年には、日本へわたり読売ジャイアンツと中日ドラゴンズで業績を収めました。ドラゴンズでは監督も努めています。 日本で選手として活躍した12シーズン中、与那嶺氏は311安打、3回首位打者のタイトルを獲得し、オールスターゲームにも7回出場。1957年には最優秀選手にも選ばれました。また、野球界の殿堂入りをファン投票で選ばれた最初の選手でもあり、20年間日本の球界でコーチとマネージャーも勤めました。また、サンフランシスコ49ナーズに在籍中には、プロのアメリカン・フットボール界で最初のアジア系アメリカン選手として表彰されたこともあります。与那嶺氏は、第2次大戦後に日本に渡り活躍した最初の日系アメリカ人選手でした。 ハワイに帰国後は、与那嶺財団を成立し、恒例イベントの野球クリニックをスポンサー。また、ハワイ・ハイスクール・アスレチック協会の州ベースボール・チャンピオンシップを14年間にわたりスポンサーしました。足が速く、アメリカ仕込みのワイルドでダイナミックな野球を日本に紹介した立役者として知られ、日本ではご夫婦そろってハワイ料理で選手をもてなすことも多かったとか。ご冥福をお祈りいたします。 |
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