McKinley High student interned during World War II receives diploma
■高校生の時、家族で強制収容所へ…
シアトル在住の90才の女性のもとに、ホノルル市内のマッキンリー高校から卒業証書が届きました。この女性、サラ・オカダ‐サトウさんは、1941年当時、ホノルル市内のマッキンリー高校の学生でした。しかし、真珠湾攻撃により高校に通うことができなくなりました。なぜならサトウさんの家族は、日系人強制収容所に入れられてしまったからなのです。 ■関連情報/ ハワイと日本、人々の歴史、ハワイ日本文化センターで知る日系人の歴史(1世、子どものために) 真珠湾攻撃後、アメリカ本土西海岸の日系人約12万人は、日系人強制収容所に送られました。しかし、ハワイは当時の人口の約3分の1が日系人だったため、強制終了を執行すると人々の生活が成り立たなくなることから、日系社会のリーダーだった1,200~1,500名の1世、2世のみが強制収容されています。サトウさんはアーカンソー州のキャンプに送られ、その地で高校を卒業。キャンプでは、アメリカへの忠誠度を試す質問をされ、質問に対し、「強制収容の理由が知りたい」と答えたサトウさん親子は、カリフォルニア州にあるよりセキュリティの厳しいツールレイク強制収容所に送られたのでした。 2007年、ハワイ州議会は、戦争で学業を中断せざるを得なかった人々へ「名誉卒業証書(KUPONO DIPLOMA)」を送ることを決定。現在までに26人が卒業証書を受け取っていますが、サトウさんはそのうち唯一の強制収容経験者だと言うことです。サトウさんは現在、マウイ出身の夫とともにワシントン州シアトルに在住。「この卒業証書は、私たちの家族が経験した苦難の歴史を、次代の人々が理解する一助となるものだと思います」と、コメントしています。 (KHON2より) |
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