アロハ! ハワイに住む日系4世のキンバリーです。毎年ハワイで開催される「桜祭り女王」コンテ ストで昨年プリンセスに選ばれました。今年はアメリカ全土だけでなく日本も訪問して「桜祭り」をプロモーションする予定。この連載では、桜祭りプリンセス としての活動や、ハワイで流行中のグルメやファッション、そして私たち日系人の暮らしについてなど、ハワイ発の情報をお届けします!
キンバリーのプリンセス日記 第2回 第442連隊戦闘団に思いをはせながら…
■日系人の誇り
ALOHA、キンバリーです。私はハワイ生まれの日系4世。今回は、私達ハワイの日系人にとって、とても重い意味を持つあるグループについて書いてみますね
時は1943年のこと。戦地に旅立つ第442連隊戦闘団(以下442連隊)をお見送りするために、イオラニ宮殿に何千もの人々が集まりました。442連隊 とは、ハワイやカリフォルニア出身の日系2世で編成されたアメリカ軍の部隊のことで、第2次世界大戦中にはヨーロッパ戦線に送られました。彼らのうち、多 数の人は、日本人の祖先を持つというだけで、スパイ扱いされて日系人強制収容所に入れられたの。家族を強制収容所に待たせたまま、志願兵となった人々も多 かったのよ。
こんな辛い状況でも442連隊はとりわけ勇猛に戦ったの… 祖国アメリカに忠誠を示すためにね。アメリカ軍史のなかでも1、2を争う勇敢な部隊として、彼らは今でも人々に語り継がれているの… 本当にすごいわよね。
442連隊、第100歩兵大隊(1942年に秘密任務のため送り出された日系人部隊)、ミリタリー情報サービス(MIS=戦時中日英通訳を務めた人々)、 第139工兵隊(戦時に様々な建物や秘密のトンネルを造った人々)、彼らの活躍で、第2次世界大戦は予定より2年早く終結したと言われています。彼らのほ とんどが日系2世で、すでに亡くなった方も多いの。最近、現在でもお元気な少数の方々お話を聞く機会がありました。
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■イオラニ宮殿の風に吹かれて
桜祭り女王とプリンセスたちで、イオラニ宮殿の階段に立ったの。ちょうど1943年に442連隊が壮行会で立っていた場所と同じところにね。ハワイで生ま れ育ったけれど、実はイオラニ宮殿に足を踏み入れたのは、これが初めてだったの。ダウンタウンの「コンクリートジャングル」のすぐ近くに、こんなに美しい ところがあったなんて! 平和で気持ちよい風に吹かれながら、442連隊の人々は当時どんな気持ちだったのだろうって…
その日、私たちは、官約移民125周年を祝う会に参加していたの。官約移民というのは、プランテーション農場で働くという契約のもと、ハワイへやってきた 日本人移民のこと。家族のより良い未来、生活を求めて、太平洋を渡ってきた人々よ。私の曽祖父のようにね。曽祖父は私の祖父を含め8人の子どもがいたの。 暮らしはとても貧しかったそうよ。しかも、さとうきび畑での背中を痛める重労働… プランテーションの生活は、独特のコミュニティと文化を作り上げた の。当日会場に漂うアンダギー(沖縄風揚げドーナツ)、焼き鳥、シェイブアイス(カキ氷)、サイミンの香りは、私を当時のシンプルな生活に連れて行ってく れるみたいだったわ。
会場では、マノアDNAとジェイク・シマブクロの音楽を楽しみながら、442連隊のベテラン(退役軍人)と「トークストーリー(ハワイ独自の表現で、じっ くりとお話しするということ)」したの。驚いたことに、誰も戦争中の辛かったことや怖かった体験は話さず、代わりに戦争中のガールフレンドの話や美人の看 護婦さんとのエピソードを話してくれて、一緒に笑い転げたの。一人のベテランの人は、毎日軍の病院を抜け出したお話をしてくれたわ。こっそりとお掃除の人 にワイロをわたして、ロッカーに彼の靴を隠してもらっていたんですって。毎日鉄条網を乗り越えては街に繰り出して、ガールフレンドを見つけようとしていた の。彼はそのときたったの21才で、青春時代を無駄にしたくなかったんだそうよ。いつも上官に見つかる前にベッドにこっそりと戻ってくることができたんで すって。あれから67年たつけど、きっと彼の愉快な性格は今でも変わってないはず。
すばらしい日系人のヒーロー達と会って握手して、ハグして、涙がこぼれそうだったわ。最近の若い世代は、教育やキャリア、流行のカルチャーを追うのに精一 杯よね。でも、たまには一休みして、年配の人々のお話を聞き、いま一度じっくり考えてみることも必要だと思うの。第2次大戦のことは忘れてはならないし、 参戦した人々には敬意を払うべきだと思います。
次回につづく… (なお、今回使用した一番上の第442連隊戦闘団の写真は、ホノルルアドバタイザー紙の提供です。The old photo of 442 is from Honolulu Advertiser: Members of the 442nd RCT on March 28, 1943. Star-Bulletin archive photo)
(2010年7月更新)
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ハワイ桜祭りプリンセス、Kimberly(キンバリー)のプロフィール |
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ホノルル市出身、日系4世のロコガール。ハワイで開催された第58回「桜祭り女王 (チェリー・ブロッサム・クイーン)」コンテストで、見事プリンセスに選ばれる。子どもの頃から日本の文化やファッションが大好きで、日本のファッション 雑誌を愛読していたことも。趣味も多彩で、休みにはグルメ、ハワイアン・ミュージック、フラ、ハイキング、ショッピングなどを楽しむ。ロサンゼルスの大学 を卒業後、現在ホノルルのマーケティング会社に勤務。
キンバリーへのファンレターはこちらへどうぞ。editor@hawaii-arukikata.com |
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キンバリーのプリンセス日記 第3回 食べること大好き!
■コンフォート・フード(心が安らぐ食べ物) ALOHA、キンバリーです。誰にでも「これ無しでは生きられない」食べ物ってあるわよね。私にとって、それはラーメンなの。暑い日でも雨の日も、ラーメ ンがあれば幸せ〜。美味しいラーメンを求めて、オアフ中のラーメン屋さんを食べ歩いたけど、なんといっても一番好きなのは、「ごまいち」のラーメンね。ご まいちは、アラモアナのウォルマートの向い側、グリーン・パパイヤ(ベトナム料理店)の隣でもう15年ほど営業している、知る人ぞ知る名店。間口は小さめ で目立たないお店なの。
アラモアナセンターからは歩いていくのにちょうど良い距離ね。旅行者も地元の人も、ぜひ行ってみて! ごまいちは家族経営で、オーナーの木村さんは厨房、奥様が店内の担当なの。
ここの名物は「坦々麺」よ。豚肉とごま油風味のコクがあってどろっとしたスープを飲むと、思わず幸せになっちゃう。ただのラーメンとはひと味もふた味も違 うのよ。これだけでも最高なのに、お客さんに満足してもらうために、木村さんが作り上げたのが「サンホン麺」。豚骨と鶏肉風味に酢が効いた爽やかで透明な スープが特徴。中華とタイ、日本の風味が混ざった、最高にユニークで贅沢なラーメンなの。
スープもだけど、ラーメンにとって重要なのは麺よね。ごまいちの麺は、ハワイでも有名な麺メーカー 「サンヌードル」の打ち立ての麺だけを使っているのよ! サンヌードルは、30種類の麺を一日11,000ポンドも作っているの。日本のレシピと技術に、 私たちのハワイ文化にマッチするテイストをちょっぴり加えたサンヌードルの麺とごまいちのスープとの饗宴は、もうまさに天国の味ね! 美味しーっ! |
■ハッピー・アワー
火曜日は1週間で一番好きな日! Apartm3nt(アパートメント3と発音します)のハッピーアワー(通常よりお得に楽しめる時間)は、仕事のあとに お友達と集まって過ごすのに最高なの。特に火曜日は夕方5時〜深夜2時までがずーっとハッピーアワーなんだもん(他の日は午後5時〜8時まで)。
Apartm3ntは去年オープンした、わりと新しいお店なの。カラカウア通りのセンチュリーセンター3階にあるここ、マカロニ&チーズやハンバーガー、チキン・ウィングスなどの伝統的なアメリカ料理を、グルメで今風にアレンジしたものが人気なの。
ハッピーアワーには、ドラフト・ビールやカクテル、マティーニが1杯$3〜5、ププ(おつまみ)が$5とすごくお得。私のお気に入りメニューは赤ピーマン のハマス(フムス)。オリーブ、野菜のピクルス、フェタチーズが添えられています。ハマスとはヒヨコ豆ベースのクリーミーなスプレッドで、赤ピーマンの香 ばしい香りがとても美味しいの。一緒に出てくる焼きたてのピタ・ブレッドは、外側はカリカリで、内側は柔らかくってもう止められない美味しさよ。
このお店はすごくおしゃれ。まるでLAやNYみたい。壁にはモダンアートや写真が飾られ、ブラックレザーの家具と暖炉が独特の雰囲気をかもし出しているの。
控えめな照明とアップビートな音楽が創り出す独特な雰囲気は、ワクワクするようなディナー・デートにぴったり! または、私たちみたいに、女の子同士でおしゃれをして集まって、ガールズトークに花を咲かせるのもいいわね。
それじゃあ、カンパーイ!
次回につづく…
(2010年9月更新)
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