ハワイのホテル、グルメ、ショッピング、オプショナルツアーなどの旅行情報 ホノルルから「ハワイ観光に役立つ最新情報」を毎日更新

Akiko
人気連載「ハワイと日本、人々の歴史」

第2回 太平洋を渡った禎子の鶴 ‐広島からオアフ島パールハーバーへ

投稿者: Akiko 更新日:2013年09月25日

Sadako's Crane Came to Oahu

第2回 太平洋を渡った禎子の鶴 ‐広島からオアフ島パールハーバーへ

ありし日の佐々木禎子さん

ALOHA!Myハワイ(ハワイ歩き方)編集長の明子です。今回は日本とハワイを結ぶ、小さな平和のシンボルをご紹介します。「禎子(さだこ)の鶴」と聞いて、ピンと来る日本人はどれくらいいるでしょうか? 禎子こと佐々木禎子さんは、広島平和記念公園内にある原爆の子の像のモデルになった少女です。被爆後発症した白血病により、たった12才でこの世を去りました。1955年8月、禎子さんは回復を祈りながら鶴を折り始めました。当時折り紙は高価だったため、飴の包み紙や薬の袋なども利用し、生涯に折った鶴は1300羽以上を数えます。自らの回復だけでなく、癒しや平和が世界を包むことを願いつつ鶴を折り続けたという禎子さん。そのひたむきな姿は、ハワイの教科書などでも紹介され、「禎子の鶴」は平和のシンボル的存在としてよく知られています。

その、禎子さんの折った鶴の1羽がハワイにやって来ました。禎子さんが折った鶴の多数は、彼女と共に埋葬されました。しかし、禎子さんの兄、佐々木雅弘さんは、6つの折り鶴を、平和のシンボルとして世界と分かち合おうと、取っておいたのです。1羽目はニューヨークの「9/11トリビュート・センター」へ。2羽目は、オーストリアの「ASPRライブラリー/ヨーロッパ平和博物館」へと寄贈されました。そして3羽目が、ハワイの第2次世界大戦武勲記念史跡パールハーバー(以下パールハーバー)・ビジターセンターの常設展示物の一環として、展示されることになりました。

2013年9月21日(土)、国際平和デーのこの日、禎子さんのご家族も参加し、「禎子の鶴展示」の除幕式が行われました。その様子をご紹介しましょう。

ありし日の佐々木禎子さん

禎子の鶴を祝福するかのように、真珠湾に虹がかかった美しい朝、地元ハワイから、日本から、アメリカ本土から、多数の人々がオアフ島のパールハーバー・ビジターセンターに集まりました。地元ハワイの高校「パシフィック・ブッディスト・アカデミー」の生徒たちによる勇壮な和太鼓演奏で、いよいよセレモニーの幕開けです。

パールハーバー

パールハーバーの主任歴史家、ダニエル・マルティネス氏の挨拶で式典はスタート。日本から駆けつけた禎子さんのご遺族が紹介されました。続いて、ホノルルの本派本願寺のエリック・マツモト僧正とハワイアンのカフ(聖職者)、カウイラ・クラーク師によるブレッシング(お祈り、お清め)。パールハーバー最高責任者、ポール・デュプレー氏の挨拶と続きました。

佐々木雅弘氏

禎子さんの兄でNPO団体「SADAKO LEGACY」の代表を務める佐々木雅弘氏は、「70年前には日米両国において悲惨なつらい経験をしました。戦争のいきさつ等については日米で様々な違いが存在していますが、悪いことだとわかったとき、素直に謝ることができる心を持たねばなりません。私は今素直に自分の心に従っています。だから過去の遺恨を引きずる事は全くありません」「いまや折り鶴は、平和の象徴として世界中に広がり、禎子はみんなの心の中に居ます。この小さな折り鶴により、小さな心の平和をつくるきっかけとなる、思い遣りという心を皆さんと共有すれば、やがて大きな平和を願う心に繋がっていくと確信しています」と述べ、会場からは大きなあたたかい拍手が寄せられました。また、禎子さんの甥でシンガーソングライターの佐々木祐滋氏による独唱「INORI~祈り~」も披露されました。

ありし日の佐々木禎子さん

70年以上も前、ここパールハーバーは日本軍の攻撃を受け、その後太平洋戦争が勃発、アメリカ軍による広島と長崎への原爆投下が引き金となり、1945年戦争は終結します。原爆は、禎子さんのみならず多数の人々の命を奪い去っていきました。またアメリカ兵たちも犠牲となりました… 次に壇上に登場したのは、今年94才のローレン・ブルーナー氏です。戦艦アリゾナの乗組員をしていたブルーナー氏は真珠湾攻撃の生存者でもあります。ブルーナー氏は氏自らと禎子さんの共通点として「戦争の恐怖を体験したが、常に世界平和は達成可能であり、全ての人の究極の目標であると信じていました」と語り、「禎子さんの家族からの贈り物、折り鶴を通じて、将来パールハーバーを訪れる人々に、この同じ思いを感じ、持って帰っていただきたい」と訴えました。また、今日の平和式典が日米間に友好と親善が生じた好例であると述べ、大きな喝采を浴びました。その後会場を移し、除幕式が行われ、禎子の鶴を見ようと、会場を訪れた人々は長い列を作りました。

パールハーバー

あれから70年余、禎子さんの鶴は世界平和のために静かに滑空を続けています。今回ハワイへと海を渡ってやって来た小さな折り鶴。パールハーバーを訪れたならぜひ、この小さな折り鶴を通じて、禎子さんの思いを感じてみてください。

(2013年9月更新)

 

◎パールハーバー・ビジターセンター

場所:1 Arizona Memorial Place Honolulu, HI 96818
電話:(808)422-0561
開館時間:7:00―16:30
入場料:無料
ホームページ(英語):www.nps.gov/valr/index.htm

 

この記事が属するカテゴリー: 基礎知識, 歴史・社会・自然, 特集
関連キーワード: オアフ島パールハーバー, 太平洋, 広島, , 禎子, ,


私たちをフォローしてください!
@hawaiiarukikataをフォロー

4 responses to 第2回 太平洋を渡った禎子の鶴 ‐広島からオアフ島パールハーバーへ

  1. 禎子さんのお兄さんの言葉も素晴らしいですね。パールハーバーへはあまり行かないのですが今度出かけてみようと思います。

  2. Leiaさん、禎子さんのことは、ハワイのほうが良く知られているみたいですね。私も名前は知っていたものの、今回いろいろとリサーチして、いろいろと勉強になりましたよ。

  3. こんなに小さな折鶴ですが、世界中の人に平和を呼びかけるという大きな役目を背負っているのですね。
    恥ずかしながら禎子さんのことは知りませんでしたが、勉強になりました。

  4. 平和についてもっともっと考えてみようと思いました!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*


人気連載「ハワイと日本、人々の歴史」


現地最新情報トップ5


前後の記事

さらにおススメ