第1回 ハワイの7勇士とともに海を渡った550頭の豚
アロハ、編集長明子です。新連載「ハワイと日本、人々の歴史」では、観光地としてのハワイから一歩踏み込み、ハワイと日本をつなぐ人々に焦点をあて、その歴史を掘り下げてみたいと思います。 ハワイを訪ねる観光客の方々はおしなべて、「地元の人々に親切にしてもらった」という感想を持つことが多いのではないでしょうか? もちろんハワイの人々ならではの「アロハ・スピリット」が広く行き渡っているのは言うまでもないでしょう。しかし、それに加えて、ハワイの人口の約15%を占める日系人の人々の頑張りと社会への貢献が、大きく作用しているのです。 第1回目は、戦後の荒廃しきった沖縄に、550頭の豚と救援物資を贈ったオキナワン(沖縄系アメリカ人の総称)、「ハワイの7勇士」についてご紹介したいと思います。 第2次大戦後、激戦地となった沖縄は、全人口の4分の1もの人々が亡くなり、荒廃をきわめました。もちろん亡くなったのは人だけではありません。沖縄の人々の生活に深く根付き、沖縄料理の主要食材でもある豚も、その数が激減しました。戦前は10万頭もいた豚も、数えられるほどまでに減少。それを聞きつけたのが、ハワイの沖縄系移民の人々です。 彼らはさっそく「沖縄救済会」を結成し、募金運動を始めました。「故郷に豚をおくりましょう」と、メロディーに乗せた曲「ウルマ・メロディー」を作り、毎日ラジオで募金を呼びかけたそうです。祖先のふるさと、沖縄を助けようと、集まった募金総額はなんと5万ドル。現在の価値に置き換えると約50万ドル(約5千万円)にもなります。この資金を使い、ネブラスカ州のオマハで550頭の豚を買い付け、オレゴン州ポートランドを経由し、船で沖縄まで運ぶことになりました。 沖縄まで生きて豚を輸送しなければならないので、豚の扱いになれた7名のオキナワンが選ばれ、同行することになりました。これが、ハワイの7勇士なのです。7勇士こと仲間牛吉、山城義雄、宮里昌平、渡名喜元美、上江洲易男、島袋真栄、安慶名良信の各氏は、軍用船オーウェン号に乗り込み、1948年8月31日にポートランドを出航しました。航海は厳しく、嵐で2頭の豚を失いながらも、9月に無事に沖縄に上陸。豚は抽選で沖縄県内全域に平等に分配されました。これにより、沖縄の人々の栄養状態は劇的に改善を見せたと言われています。7勇士は、この事業の成功について、ことさら吹聴することもなかったため、ハワイでもこの話が皆に広く知られることはありませんでした。 この出来事は「海から豚がやってきた」という題名のミュージカルにもなりました。沖縄で演じられていたミュージカルは、2005年にはホノルル市内の、ニール・ブレイズデル・コンサートホールで、ハワイ公演を行い、多数の人々が足を運びました。 また、沖縄出身の音楽グループ「BEGIN(ビギン)」は、この出来事をテーマに、「ウルマメロディー」という楽曲を作りました。BEGINは、感謝の気持ちをこめ「音がえし(おんがえし)」として、550本の楽器(三線、パーランクー、大太鼓、一五一会など)をハワイに贈る活動を行っています。 参照: (2013年9月更新) |
Akiko said on 2013年10月01日
Koshiさん、素敵なコメントありがとうございます。ハワイといえば、観光地としての側面ばかりが取り上げられがちですが、プランテーション農場での日系人の人々の頑張りや、子どもたちの教育に熱心だったこと、戦争中に2世の人々が2世部隊として勇猛に戦ったことなど、ハワイを訪れる人にも知って欲しい歴史がたくさんあります。ハワイ日本文化センターは、そのような歴史を学ぶのに最適な場所ですよね。これからもどうぞよろしくお願いします。
koshi said on 2013年09月30日
もう20年近く前、ハワイの日系人がサウス・ベレタニアの「ハワイ日本文化センター」に連れて行ってくれました。日本人がハワイに渡り、荒れ地を開拓し サトウキビ畑を作り 貧しく厳しい生活をしていた様子が そのまま残されています。貧しくても 誰を恨むこともなく 正直に勤勉に生きた日本人は ハワイの人々からの信頼を得て その後、学校の先生や議員などハワイで尊敬される職に就くことができたと知りました。そういう祖先のおかげで 今、私たちがハワイにいっても 現地の方々から「welcome」の気持ちで迎えていただけるのだと思います。観光でハワイに行く日本人も、ショッピングばかりに奔走するのではなく、アメリカ人が「アリゾナ・メモリアル」を訪問するように、少しの時間を作って、ここを訪れてほしいと思います。
Akiko said on 2013年09月28日
Ayaさん、どうもありがとうございます。ハワイにはあまり人に知られていない「ちょっと素敵なお話」がいっぱいあるので、どんどん紹介していけたらと思っています。
Aunty Aya said on 2013年09月28日
明子編集長、素敵な連載ですね~。ビギンの音がえしの活動は知りませんでした。今後の連載も楽しみにしていま~す。
Akiko said on 2013年09月28日
匿名様、なんと素晴らしいお話をありがとうございます。いつまでも、ハワイの7勇士への感謝の気持ちを持っておられたとのこと、こちらも感動してしまいました。ご家族の皆様に宜しくお伝えください!
匿名 said on 2013年09月28日
私の祖母はその当時、戦後一匹の豚をもらい、子豚を売って生計を立て、四人の子供を育てたと母から聞きました
そのお礼をハワイに留学にいった2010年沖縄県県人会にお金を寄付してねと100ドル札を預かってきました。
が、留学途中でお金が無くなり、そのお金を泣く泣く使ってしまった苦い経験があります。
その後、この移民から豚をいただいたニュースが取りだたされました。
これからは、いっぱい稼いで、ハワイに行く時に、その母の気持ちのお礼と沖縄県県人会を訪ねたいと思います
勇者達の沖縄を思う気持ちと行動力、人を助ける暖かさに沖縄の誇りを感じました。
Akiko said on 2013年09月28日
匿名様、そうですよね。絆はとても大事なものですよね!
匿名 said on 2013年09月27日
初めて知りました・・・。大切にしたい「絆」、これは何ものにも変えられない素晴らしい好意そのものです。
Akiko said on 2013年09月27日
このコーナーでは、ハワイと日本をつなぐ人々に焦点を当て、彼らの歴史、物語を紹介していきたいと思います。皆様のご感想お待ちしております!