Pearl Harbor 75th Commemoration: Blackened Canteen Youth Symposium
第15回 真珠湾攻撃から75年、日本とハワイの高校生が平和シンポジウム
アロハ、Myハワイ編集部明子です。「ハワイと日本、人々の歴史」シリーズでは、観光地としてのハワイから一歩踏み込み、ハワイと日本をつなぐ人々や出来事に焦点をあて、その歴史を掘り下げて紹介しています。久々の更新となる今回は、真珠湾攻撃から75年という記念すべき年、平和のシンボル「黒焦げの水筒」をテーマに、ハワイと日本の高校生たちが参加した平和シンポジウムをレポートしたいと思います。
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安倍首相がハワイのパールハーバー(真珠湾)にある戦艦アリゾナ記念館を訪れるという意向を示し、日米で大きな話題を呼んでいます。上の写真は、爆撃の舞台となった真珠湾のフォードアイランド。明るく長閑な雰囲気さえただようこの場所で、75年前の1941年12月7日、旧日本軍は、米海軍の太平洋艦隊と基地を攻撃しました。この攻撃により、1,177名の兵士とともに海に沈没した米海軍の戦艦アリゾナは、今でも真珠湾の底に沈没状態のまま保存され、その上には慰霊碑アリゾナ・メモリアル(下写真)が建っています。メモリアルに立つと、75年たった今日でさえ、強い刺激臭と共に戦艦から重油が流れ出しているのが見えることかと思います。
このアリゾナ・メモリアルでは毎年、真珠湾攻撃の日にさまざまな慰霊祭が行われます。その中で私も何度か参加したことがあり、特に印象深いものが、静岡県の菅野寛也医師による「黒焦げの水筒慰霊祭」です。
冒頭でも述べましたが、黒焦げの水筒は日米平和のシンボルのひとつなのです。上の写真が黒焦げの水筒です。ご覧のとおり、この水筒は黒焦げで表面がボコッとうねっていますよね。実はこの水筒は1945年6月20日、静岡大空襲の翌日に、米軍機B-29の墜落現場で発見されたものです。この墜落で23人のアメリカ人兵士がなくなりました。うねりは、墜落でなくなった兵士が、グッと握った指の跡なのですね。断末魔のなか水を求めて握ったのか、無意識なのかはわかりませんが、兵士の最期の力が生々しく伝わってきます。墜落現場の土地所有者の弟で僧侶の伊藤福松師は、無くなった兵士たちに心を痛め、「死んだら敵も味方もない。この人たちも犠牲者なのだ」と、空襲の犠牲者とB-29搭乗員の2つの慰霊塔を賎機山(しずはたやま)山頂に建立、日米両国の犠牲者の慰霊祭をはじめました。22年前に伊藤師よりこの水筒を受け継いだ菅野医師は以来、水筒に米兵が好んだであろうバーボンウイスキーを入れ、毎年真珠湾に献酒する慰霊祭を行っているというわけなのです。
慰霊祭のあとは太平洋航空博物館パールハーバーに舞台を移し、いよいよユース・シンポジウム(高校生教育シンポジウム)です。慰霊祭にも参加したジェリー・イエリン(Jerry Yellin)氏(写真上)の著書「黒焦げの水筒」をベースに日米の若者が参加したシンポジウムは、菅野医師およびイエリン氏の言葉、日本とハワイの学生たちによるエッセイの朗読、そして質疑応答という構成で行われました。著者のイエリン氏は戦時中は米戦闘機P51の操縦士として、B-29をエスコートする役を務めていたそうです。真珠湾攻撃のときは、わずか17才でした。現在は92才ですが矍鑠(かくしゃく)とお元気で、ピンと伸ばした背筋が印象的でした。
日本人の菅野医師と米国人のイエリン氏には、それぞれが第2次大戦を体験したという以外に、大きな共通点があります。戦後、平和のために努力を続けておられることはもちろんですが、実は菅野医師の次女、イエリン氏の息子さんは、それぞれ国際結婚をされているのです。菅野医師の次女はアメリカ人の軍関係者と結婚。また、イエリン氏の息子さんは日本で教師を務め、そこで出会った日本人女性と結ばれました。「これが私の影響というのはおこがましいかも知れませんが、父の行ってきた活動に、娘もいくらかの影響を受けたのではないでしょうか?」と菅野医師。イエリン氏は、「もともと日本は敵で、まったく好きではありませんでした。しかし家族で日本に出かけ、日本を楽しみ、どんどん日本への思いが変わっていきました。息子が日本で働き、日本人の配偶者をもらったときは、心より祝福しました」と述べました。「昨日の敵は今日の友」と言いますが、戦後75年、もはや「敵も味方もない」時代にあり、次の世代に大きな夢がたくされているのです。そうです、若者たちです!
このシンポジウムには地元ハワイの高校生、大学生、そして新潟県長岡市の高校生、大学生が参加しました。新潟県長岡市とは、真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官、山本五十六元帥の出身地です。ホノルル市と長岡市は2007年から交流を続けてきており、2012年3月2日に姉妹都市提携を結びました。終戦70周年記念の1945年には、真珠湾で平和を祈念し長岡花火(下写真)が打ち上げられました。夜空を彩る美しい花火は生き生きと美しく、亡くなった数多の人々を悼みつつ、ハワイの夜空に幾重にも希望の花を咲かせました。
新潟代表として壇上に立った、長岡市出身の新潟大2年生、渡辺亜衣里(あいり)さんは、黒焦げの水筒の学びを受け継ぐ若い世代として、重要だと思うことは、和解を慎重に進めること(結果だけでなくその過程も重要であるということ)、平和に向けてアクションを起こす勇気を持つこと、そして異文化を知ることだと語りました。真摯なスピーチが終わると、壇上のイエリン氏が立ち上がり、渡辺さんとがっちりと握手。多層的な方法で、平和実践を進めていく日本の若者の頼もしさに、会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響きました。
ハワイからはカメハメハ校のキアナ・デイヴィスさん。まずハワイ語の挨拶からスタートし、ハワイアンと土地のつながりをのべたあと、新しいはじまりを意味するマカヒキに日本とハワイの関係をなぞらえ説明しました。デイヴィスさんは、黒焦げの水筒はただの戦時中の遺物ではない、再生を意味する平和のシンボルなのだと強調。また伊藤師の行いは、リーダーシップの見本だとして、今後も遺志を継ぎ、若い世代が明るい未来を作り上げていくことを約束しました。
最後は質疑応答コーナー。司会は、オバマ大統領の妹で、ハワイ大学マノア校社会科学部のスパーク・M・マツナガ・インスティテュート・オブ・ピース&コンフリクト・リソリューションで特別講師とディレクターを兼任するマヤ・ストロ・イング氏が担当しました。菅野医師の活動に感銘を受けたこと、自分も平和のために考えて行きたいという感想や、父親として子どもが元敵国の人と結婚するのに葛藤はあったか? などの質問が、若い参加者達から多数飛び出し、その後はなごやかで活気あふれる雰囲気のまま、シンポジウムは幕を閉じました。
オバマ大統領の広島訪問に続き、いよいよ今月末は安倍首相が戦艦アリゾナ記念館を訪ねます。新潟大学の渡辺さんの言葉のように、結果のみならず過程も大切にしつつ、今私たちは日米関係の新たな一歩を踏み出しつつあるのだなと実感した次第です。
◎太平洋航空博物館パールハーバー
場所:Ford Island, 319 Lexington Blvd. Honolulu, HI 96818
電話:(808)441-1000
開館時間:8:00-17:00
入場料:大人$25、子ども(4才~12才)$12
ガイド付き日本語「飛行士ツアー」:大人/子どもともに一人 $10 (入館料別)
ツアー実施時間:10:00-15:30、所要時間:1時間~1時間半
ホームページ(日本語):www.pacificaviationmuseum.org/jp
(2016年12月更新)
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