Kizuna:2011 Tohoku Earthquake / Tsunami and Handmade Jizo Dolls
■可愛いお地蔵さんに込められた思いとは?
ハワイも今日から3月に入りました。3月といえばまず最初に心に浮かぶのが2011年3月11日に発生した東日本大震災です。あの日から早くも5年目を迎えようとしています。被災地では今でも復興作業が継続され、未だに多くの人々が仮設住宅住まいを強いられている現状があると聞きます。が、月日が経つにつれ報道も少なくなり、あの日テレビの画面に映った恐ろしい光景も次第に私たちの記憶から薄れてきつつあるのではないでしょうか?
そのような中、先日ハワイ州オアフ島にあるMyハワイ編集部に日本から可愛らしいお地蔵さんが3体届きました。送り主は震災の援助活動を続けられている関東在住の女性です。そこでMyハワイ編集部は、お地蔵さんに込められたこの女性の思いを皆様にもお伝えしたいと、特別寄稿として記事にまとめることにしました。
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この人形を作っているのは、岩手県大船渡市末崎町峰岸出身の60代の女性です。この女性の家は、2011年3月11日に起こった東北大震災の津波の被害により無くなってしましました。震災で峰岸はほぼ崩壊してしまい、ご家族はいまだ仮設住宅暮らしだそうです。そのような厳しい環境の中、この女性は被災された方へのサポート、被災後に援助してくれた人々への感謝の気持ちをこめて、「自分のできることを」と、コツコツとこのお地蔵さんをつくり無料で配布しているそうです。
東日本大震災が発生した直後には、ハワイの人々も一体となり各地で援助活動が行われ、義捐金や援助物資が被災地へ送られました。この女性はそのことを覚えておられ、「このお地蔵さんをぜひハワイへ」との気持ちから、援助活動に加わった私たちの会社へも送ってくださったのです。
Myハワイブロガー、ヴィンス岡田さんのブログより
こちらに、この可愛いお地蔵さんを作った女性からのメッセージをご紹介しましょう。メッセージの中にある「陸前高田」というのは、奇跡の一本松(津波に耐えて一本だけ残った松の木)がある地域で、ここは津波で町全体が壊滅的被害を受け、多数の方々がお亡くなりになられました。
「心を癒やすお地蔵さん、 震災からもうすぐ5年、今も作り続けています。 仮設生活も長期になり、狭い暮らしの中でも小さく置く場所に困らないので喜ばれている様です。
あの日、大勢の被災した人たちの悲しみや無念が お地蔵さん創作への原動力となりました。 私も陸前高田で、あの優しかった叔母を津波で亡くし供養の気持ちを込めて、作り始めたのですが、悲しく苦しい人たちが沢山いる、出来るだけ作って届けようと思い今に至っています。
私たち日本人は昔から田畑のあぜ道、海辺の道いろいろな場所で、お地蔵さんに親しんできました。
お地蔵さんの、お着物は古布に、こだわっています。年配の方達には懐かしい色や柄、 若い方達には少しでも華やいだ気持ちになればとおもいます。
可愛いお顔、綺麗な古布で出来た この お地蔵さんが、震災で傷ついた心に少しでも 希望の持てるお手伝いが出来ればと考え一針一針気持ちを込めて 作っています」
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お地蔵さんを作るときは、まずパーツを何個分か作ってから組み立てるそうで、顔の部分で神経を集中して描き、お地蔵さんのぷっくりした耳を作るのも大変な業だそうです。心をこめて丁寧に作られているお人形を見ていると癒されて自然に笑顔になれるから不思議ですよね。様々な形で地道に援助活動を続けられている方がいるのを知り、私たち編集部も、東日本大震災の事を決して忘れてはならないと再確認した次第です。ハワイと日本をつなぐ絆のお地蔵さん、眺める人々を平和で幸せな気分にしてくれる、幸運のラッキーチャーム(お守り)となってくれそうですね。
匿名 said on 2016年03月02日
今も辛い生活をしてる方がいらっしゃいます。
忘れては、いけません。
何もできませんが、シェアだけでもさせていただきます。
匿名 said on 2016年03月02日
お地蔵さんを掲載して頂きありがとうございます。私は、お地蔵さんを作りました清野と申します。震災で世界中の沢山の方々からご支援や援助を頂き被災した全ての人達は感謝の気持ちで一杯だと思います。個人として限られた事しか出来ないのですが作り続けていきたいと思います。