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Akiko
人気連載「ハワイと日本、人々の歴史」

第6回 地獄谷と呼ばれた日系人収容所跡地、ホノウリウリを訪ねて

投稿者: Akiko 更新日:2013年11月22日

Hawaii-Japan: People's History vol.6 - Honouliuli

第6回 地獄谷と呼ばれた日系人収容所跡地、ホノウリウリを訪ねて

ハワイのオアフ島、日系人収容所跡地ホノウリウリ

アロハ、Myハワイ編集長明子です。「ハワイと日本、人々の歴史」シリーズでは、観光地としてのハワイから一歩踏み込み、ハワイと日本をつなぐ人々に焦点をあて、その歴史を掘り下げて紹介しています。今回の記事のためにハワイ日本文化センターの会員向けツアーにご一緒させていただき、オアフ島中央部のホノウリウリと呼ばれる場所を訪ねました。雑草や藪に覆われた、何もないのどかな田舎…に見えるホノウリウリ。しかしハワイの日系人にとって、非常に重要な意味を持つ場所なのです。

ハワイの収容所跡地

もう70年以上も前の話です。1941年12月7日、日本軍による真珠湾攻撃後、当時のフランクリン・D・ルーズベルト大統領は「大統領令9066号」を発令し、アメリカ本土の主に西海岸に住む日系人とその家族を強制収容所へと隔離することになりました。住み慣れた家を追い立てられ、全ての財産と思い出を没収され、12万人もの日系人たちは砂漠や、荒地など人里離れた場所の日系人強制収容キャンプへと送られたのです。

一方、プランテーション農場での労働などにより、日系人人口が非常に多いハワイではどうだったのでしょうか?

1940年代初頭、日系人の人口は、ハワイ全州の40%をも占めていました。そのすべての日系人を隔離するとなると、たちまちハワイの経済は成り立たなくなってしまいます。また、莫大な費用も掛かります。なので、そのなかから1,200~1,500名の1世、2世のみが強制収容所に送られたのでした。それらの人々は、仏教や神道の聖職者たち、日本語学校教師や経営者、漁業従事者、日本語新聞の編集者、領事代理など、日系社会のリーダーたちでした。アメリカ政府より、日本への忠誠心が強い人々とみなされたからなのです。

ハワイで強制された人々は主にハワイ州内の5ヵ所の収容施設(カウアイ島のカラへオ軍刑務所、マウイ島のハイク・キャンプ、ハワイ島のキラウエア・ミリタリー・キャンプ、オアフ島のサンド・アイランドとホノウリウリ)へと送られました。

ハワイ日系人の歴史

今回私たちが訪ねたホノウリウリは、1943年3月1日、5ヵ所の強制収容所のうち最大のものとして開所しました。オアフ島クニアの山あい、何もない荒地160エーカーを切り開いて作られたのです。非常に暑く湿気が高く、常に蚊の大群がわいていたため、日系人収容者の間で「地獄谷」と呼ばれていたそうです。ホノウリウリには日系人に加え、同じく敵国のドイツ人、イタリア人約100名も収容されていました。収容者はすべて単身で、家族と引き離され、数年間にわたり鉄条網に囲まれた地獄谷での生活を余儀なくされていたのです。

1945年、米軍勝利と共に地獄谷はひそかに閉鎖され、住居や風呂場、食堂などの建物は破壊され、いつしか人々の記憶からも消え去りました。ハワイの生命力あふれるジャングルはまたたくまにキャンプ跡地に根を張りました。収容者たちは家族の元に戻り、日々の生活を取り戻すために必死で働き、収容所での暮らしを口にすることはほとんどありませんでした。そしてそのまま長い間ホノウリウリは歴史の片隅にひっそりと姿を潜め、その存在を知る人もほとんどいないままに、20世紀も終わろうとしていました。

1998年、ハワイ地元のテレビ局が、このホノウリウリについてリサーチをはじめ、ハワイ日本文化センターにその場所を探す手伝いを要請しました。その質問をみたボランティア・スタッフのジェーン・クラハラさんはさっそくリサーチを開始、棒を突き刺しながらジャングルの中を何時間も探索するような丹念で気の遠くなるような調査の末、2002年についにコンクリートの基底部が発見されます。石の壁や溝、フェンス、下水跡なども次々と見つかりました。その後米国国立公園局の考古学者も調査を行い、同じ結果を出しました。ホノウリウリは、全米で最も保存状態の良い強制収容所跡地である、と。ハワイ日本文化センターは2005年、ホノウリウリを歴史公園として保存するための運動をはじめ、2006年に当時のブッシュ大統領が強制収容所保存法案にサインしたことで、さらに運動は活気付いてきました。ホノウリウリ一帯の土地を収用するある種苗会社も、その土地を国立公園局に寄付する意思を表明しています。ハワイの多数の学術団体はホノウリウリの調査保存に尽力し、ハワイ日本文化センターでは前出のジェーン・クラハラさん、ベッツィー・ヤングさんが中心として、ホノウリウリの史料編纂や保存活動、そしてハワイ州教育局と協力し学校での教育プログラムの普及に奔走しています。

ホノウリウリ

筆者がホノウリウリを訪ねた11月9日は、小雨が降っており、足元の赤土はぬかるみ滑りやすく、頭よりも高い雑草は時にするどく、あっというまにジーンズとスニーカーは草の実と赤土だらけになり…さらに容赦のない暑さが降り注ぎ…まさにこれが「地獄谷」かと。しかし、たった数時間のツアーではなく、収容者の人々はここに単身で数年も居住したわけです。しかも、鉄条網にかこまれ、常に銃をもったアメリカ軍兵士…つまり自国の兵士に監視されながら。その苦しみ、悲しみ、やるせなさはいかばかりだったでしょうか。このツアーの参加者は年配の日系人男女が多く、知人が収容されていた方々もおられました。いわば、巡礼のようなこのツアー。日本人である私も色々と考えさせられるばかりでした。ハワイならではのフレンドリーで和やかな雰囲気のツアーながらも、実は今私たちが踏みしめている大地のしたで70年ちょっと前に何が起こったのかを思うと、歴史というものの深み、凄みすら感じられるようでした。ツアーの最後には、参加者全員でバラの花びらを手に「ハワイ・アロハ」を合唱。花びらをキャンプ跡地に撒きました。過去を思いつつ、そして平和な世を願いつつ。

参照:
Japanese Cultural Center of Hawai`i(ハワイ日本文化センター):www.jcch.com

(2013年11月更新)

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12 responses to 第6回 地獄谷と呼ばれた日系人収容所跡地、ホノウリウリを訪ねて

  1. 匿名様、素敵なコメントどうもありがとうございます。アメリカでお勉強されているのですね。歴史の授業など、日本で習ってきたことと、とても大きな違いがあることと思います。歴史は見る人、時代により姿を変えていくものですが、史実を知り、その背景に想像をめぐらせ、未来にどう生かしていくかを感じるのは重要なことですよね。ハワイ日本文化センターの人々の地道な働きで、ついにホノウリウリが国の史跡に制定されたんですよ。どうか、プレゼンがんばって下さいね!これからもどうぞご愛読ください。

  2. 私は今20歳でアメリカに留学中です。最近授業で442th regiment について学び、そこで私もハワイファイブオーのホノウリウリの話を思い出しました。その回の話を見て収容所のことを知ってから、詳しく知りたいと思っていました。授業で、興味があることについてプレゼンをすることになったので、442th regimentのことと、ハワイの収容所について調べているところです。この記事を参考にさせていただいております。私はまだ一度もハワイに行ったことがありませんが、これらのことを実際に起きたその土地で学び感じるため、行ってみたいです。過去に起きたことを、その時代に生きていないから、その地にいなっかたからという理由で知らないわけにはいけないと思いました。私たちが学んで、また次の世代に教えたり、語り継いでいかなくてはならないと思いました。
    現地からの貴重な記事をありがとうございます。

  3. 匿名様、Five-0のホノウリウリの回は、とてもよく調べられ丁寧に描かれているので、ハワイ日本文化センターがプロデューサーの人を表彰したそうですよ。ハワイの日系1世、2世の人々の大変な苦労により、ハワイの日系の人々の今日の活躍があり、私たち日本人もあたたかく迎えていただけるんですよね。歴史を知るのも必要ですね。素敵なコメントをどうもありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  4. 初めまして。今更ながら最近になりFIVE-0を見て、ホノウリウリについて調べているうちに、こちらにたどり着きました。8年前にフラダンサーの妻と知り合い、以来毎年オアフへ旅行するようになりました。真珠湾攻撃など有名な話は知っていましたが、歴史に埋もれてしまっている出来事がまだまだたくさんあるのだと思いました。今ある明るいオアフの根底には、様々な悲しい歴史、先人たちの苦労のお陰で今の自分たちが平和に暮らせているのだと、つくづく感じました。この記事に出会えたことを、深く感謝いたします。そして、次回オアフへ行く際には、こういった歴史を学ぶ時間を作ろうと思いました。

  5. 濱野様、コメントありがとうございます。1世、2世の人々の素晴らしい頑張りがあって、そのため私たち日本人がハワイでよくしてもらえるのですよね。このことをできるだけ伝えていくのも、縁あってハワイに住んでいる日本人の私たちの使命だと思っております。

  6. 匿名様、いよいよ記念史跡ができますよ。オバマ大統領が国定史跡に認定してくださいました。

  7.  日系ハワイ移民は明治元年から開始され、ホレホレ作業で苦労をしたのに、2世は忠誠心を示すために、家族のために442RCTに加わるなど、苦労の連続でした。ハワイ地区の日系は収容所に入れられなかったというのが日本人の常識ですから、この収容所の存在は日系ハワイ移民史の常識を変えるものです。私は日系財界の存在も戦後どうなったか、異民族結婚で日本語学校存続をめぐる試訴事件など、立派な団結ぶりも忘れられかけている。布哇教育會の営営たる努力をお忘れになってはいけません。それでは先祖の、未来の子孫に託す良き精神的伝統をないがしろにしてしまうことになる。こんなことではいけません。
     日本人の持つ至誠動天の考えは、アメリカ二ズムの原点ともいえるB.フランクリンの「自助の精神」にもつながるのですから、布哇の日系人諸君はもっと自覚をもって日本人の良き精神性をひろめる努力をしなさいと言いたいのです。濱野成秋

  8. 現在グローバル化が進み、日本から100万人が海外移住している。西欧人の社会に根を下ろして生活した東洋からの日本人一世の苦労を忘れない為にも記念施設を設立して貰いたい。

  9. 匿名さん、この地がいつか歴史公園になれば、もっともっとたくさんの人に見てもらえるし知ってもらえる名と思っています。

  10. 最近は、ハワイに渡って苦労した人たちの実情を見ることができればと思っています。一昨年はプランテーションをおとづれ手見ましたが、いつかこの地を見てみたいと思いました。

  11. 匿名さん、本当ですよね。色々な歴史があったうえで現在の平和があると思うと、考えさせられますよね。

  12. どの時代でも様々な出来事があり、現在私はハワイ旅行を楽しませて頂いてる、本当に歴史をしると…しかもこのお話も読めば読むほど涙がでそうです。そのようなご苦労をされた方々がいての今のハワイがあるのですね。次回ハワイに訪れる時があったら、感謝とご冥福をお祈り申し上げて
    訪れたいと思います。

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