星条旗舞うメモリアルデーに想う
昨日、5月26日はメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の祭日でした。陸軍に所属していた義父と大叔父4人が眠るカネオヘのハワイアンメモリアルパークにお墓参りに行ってきました。
ここには退役軍人の専用区が設けられており、メモリアルデーには毎年入口に大きな星条旗が立てられます。そして墓石の一つひとつに敬意を込め、小さな星条旗が飾られます。
星条旗がはためき、鮮やかなトロピカルフラワーであふれた墓地はとても華やかですね。そして眼前に広がる雄大なコオラウ山脈は、いつ見ても癒されます。ビーチチェアやマットを持参し、愛する人の墓前でランチを食べている家族もいました。
ここの墓地に眠る夫の大叔父のひとりは陸軍情報部(MIS)に所属していたのですが、そのことは亡くなってから知りました。第100大隊、第442連隊とともに、おもに日系兵で構成されていた部隊です。生前、大叔父は年に5、6回ラスベガスに行き、ポケと大福、日本のテレビ番組「そこが知りたい」が大好きで、毎回遊びに行くと庭でとれたマンゴーやバナナを持ちきれないほどくれる、そんなやさしくておっとりとした人でした。大戦中に情報部員として活動していたなんて、とても信じられません。
2000年に第442連隊の19人に米軍最高の議会名誉章が当時のクリントン大統領から授与された際、当時新聞社に勤めていた私はモイリイリのウィリウィリ街にある第442連隊退役軍人クラブハウス(442nd Veterans Club)で、会長への取材を命じられました。
クラブハウスには会長さんをはじめ、7、8人のベテラン(退役軍人)の方たちがおり、カードゲームなどをして楽しんでいました。記録映画や歴史本に登場するあの勇敢な兵士たちが、目の前にいるおじいちゃんたちだとは、(失礼ですが)とても信じられません。みなさんやさしくて、ユーモアがあって、とっても親切で、ちっとも偉ぶらなくて…。「こういう人こそ、真の英雄なんだ」と心から尊敬しています。
元日系兵のみなさんの中には、自らの功績や戦争体験を家族にすら語らない人も少なくないそうです。お葬式で「おじいちゃんが442のメンバーだったなんて知らなかった!」と驚くお孫さんも多くいるそうです。そう、 大叔父さんが陸軍情報部隊兵だったことを知らなかった私や夫のように…。
日本人の私が、こんなに快適にハワイで暮らせるのも、敵性国人として母国からの差別とも戦い、命をかけてアメリカに忠誠心を示してくれた日系兵のおかげなのです。メモリアルデーはそんな日系部隊にあらためて感謝する日でもあります。
日系兵の功績を後世にしっかり残しておこうと立ち上がったある女性がいます。「次世代を担う子どもたちにこそ知ってもらいたい」と、日系兵の記録をマンガにしました。その話は次回のブログで。
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