■本物のハワイアンフラブラザー登場
今回、日本から来たフラシスター&フラブラザー、なんと120人とか。もちろんほとんどが「初めまして」でした。しかし中には懐かしい顔も! 昔ハワイで一緒に踊っていたフラ仲間が、今は日本校で踊っています。彼女達も一緒に今回来ハしたのです。それはそれは嬉しい再会でした。そんな訳で、本当は1日仕事を休んで衣装作りに参加のはずでしたが、ついつい毎日顔を出してしまいました。3年ぶりに会ったモアニ(日本人)は、ハワイ大学大学院を卒業していて、日本でハワイ語の本の監修をするほどのハワイ語通。別に試すわけではないけど、興味本位で「ハワイ語で会話してよー」と頼んだところ、「いいよー」との返事。もちろん私とでは、挨拶程度で終わってしまって会話にならない。そこで本物ハワイアンフラブラザー登場。相手に不足はない。私もこの時知ったのだが、彼はなんと100%ハワイアンだそうだ。それを聞いた瞬間、私は幻のツチノ子を発見したぐらい驚いた。だって、ハワイでも100%のハワイアンってまずお目にかかれない貴重な人種なんです。(彼は少年隊のカッちゃんに似てるので、勝手にアジアが入ってると思っていました)さて、ハワイアンの彼アカと、モアニの会話が始まりました。私は隣で、ポカーンと眺めていたけど、周りにいた他のフラシスターもびっくり。だって日本人でこんなにハワイ語喋れるとは、本当に驚き。私が途中で聞き取れた単語一つ、「タヒチ」。「あ〜、タヒチに行った話でもしてるのか」と思い後で聞くと、その辺りから2人はタヒチ語で会話してたとか… ひょえーーーー、恐るべしモアニ。ハワイ語だけでは飽き足らず、タヒチ語まで話せたとは。その日からモアニを見る目が、尊敬のまなざしになったのは言うまでもない。やっぱりフラとハワイ語は切っても切れない仲。何を隠そう、この私もカレッジで1タームだけハワイ語クラス取りました。もちろんフラやってるからです。話はちょっとずれますが、そのハワイ語のクラスで、文型を習ってそれを絵で表すと言う授業がありました。なぜかタコを横に寝かせた絵で、ポオ(頭)ピコ(おへそ)アヴェ(足)といった具合で主語、述語等を表す訳です。ある日の宿題で、「文章を絵で表せ!」というのがあって、私は「ハワイの大学は幼稚な事させるなー」とぶつくさ言いながらも、本当の「絵」を描いて行きました。マヒマヒの魚の絵とかイム(土の中のオーブン)で焼かれる豚とか… 次の日クラスは私の絵を見て大爆笑。タコの絵を描かなくてはいけなかったのに、本当の絵を描いていったおバカな私でした。今思い出しても笑ってしまいます。おバカな私はさておき、話をモアニに戻しますが、彼女もフラを踊るのでそれでハワイ語を取っていたのかと思いきや、以外なきっかけだったそうです。
■ハワイアンお墨付きのハワイ語ティーチャー
15年ほど前、ハワイアンの知り合いの女性に、「ハワイ語は廃れつつある、あなたはハワイ語を勉強しなさい」と言われたそうだ。彼女がそんな事を言わなければ、今日のモアニは確実にいなかったことだろう。そして彼女がずっと習い続けたハワイ語の先生プアケア(ハワイ語の世界では超有名)も、また不思議な運命でハワイ語を教える事になったそうです。彼女の先生はハワイアンだと端から思っていた私。でもプアケアはミネソタ出身、正真正銘白人。彼は17歳の時、日本に行く途中ハワイに立ち寄ったそうです。そこでパスポートをなくしハワイに留まり、ハワイ語に興味を持ってその世界へ。その話を聞いた時、やっぱりハワイってなんか神秘的な島だなーと感じました。だって2人とも導かれるようにして廃れつつあったハワイ語の世界へと入って行き、ハワイ語の普及に一役かってるんですから。私の中で、ハワイの七不思議の1つにモアニが日本へ帰った事が入ってますが、日本でのフランダンサー人口が増えているので、ハワイ語の先生というのもやはり必要になる訳で、それが彼女の使命なのかなーと今回つくづく思いました。そしてモアニに今回多大なる影響を受けた私は、「モアニのようにハワイ語を話したい!」と本気で思い始め、また1から勉強しようと思いました。モアニは今、大阪のカルチャーセンターでハワイ語を教えているようですが、フットワークは軽いので、ある程度人数集まればどこでもクラスを開講すると言っております。ハワイアンお墨付きのハワイ語ティーチャー、おっと、クム オレロ ハワイ? かな? 興味のある方はこちらまでお問い合わせを!
(つづく) (2008年10月更新)
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