■燃えよ、フラゴン!
この年、私はまだKCC(カピオラニ・コミュニティ・カレッジ)の学生でした。フラ留学と言ってもフラだけするためには残念ながらビサは降りません。よって、ハワイに長期滞在するには、なんらかのビサを取らなくてはなりません。手っ取り早いのはやはり学生ビサ。でも学生で来るからには、もちろん学校に通わなくてはならないですよね。特に留学生は、フルタイムで教科を取らなくてはならないのです。ローカルの子は、「メリーモナーク行くからこのタームはクラスを取ってないの」なんていう子もいますが、悲しいかな私たちはそんなことは出来ない身の上。学校もフラも頑張るしかないのであーる。でも、大会に行くダンサーは、学生ばかりではありません。ホテルやショップで働いていたり、会社勤めをしたりしている人もいます。日本だったら考えられないでしょうが、ここはハワイ。学校も職場もフラの大会に出ると言えばとても寛大。職場では、夜のシフトを変わってくれたり、長期休暇を特別に認めてくれたり。そして私の学校の先生もとても理解を示してくれました。その時、私が取っていたあるクラスの先生は、彼女もフラを踊り、姪っ子もメリーモナークに出場すると言うこともあったのか、ちょうどテストが大会と重なってしまったのですが、先に一人でテストを受けさせてくれたり、ファンドレイザーで売っていたクッキーも買ってくれたりしました。
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このメリーモナークまでの3ヶ月、いろいろな人に支えられ無事に大会に出場することが出来ましたが、壮絶な毎日でした。まず1月はベーシックオンリーです。「3ヶ月しかないのに、曲は???」気持ちは焦るばかりだけど、毎日毎日何時間にもおよぶベーシック地獄。それと体力作りと言うことで、腹筋やら腕立て伏せ。まさに軍隊です。さすがに疲労と筋肉痛で、翌日動けない事もあり、学校を休む日も出てきました。やっと曲を教えてもらっても今度は、タイミングが合わないとか、腰が振れてないなど、ダメ出しの毎日。3月も半ばに入る頃には、肉体的にも精神的にもかなり参っていました。だってレッスンは毎晩6時頃から終わるのは11時過ぎ。学校の宿題をハラウに持っていって、休憩時間にやろうとしていましたが、それは間違い。学校に行っても休み時間にフラをする、が正解だと後で気づきました。体はボロボロで思うように動かなくなってくるし、動かないから注意される、そんなこんなの毎日で、後半は毎晩レッスンから帰って泣きながら、なんで私はこんな事しているのか本気で考えました。そして、私はなんで選ばれたのか、疑問が浮かび上がってきます。楽しいから踊っていたはずのフラがこんなに辛いなんて… 私の夢の一つであったこの大会目前にあるにもかかわらず、本気でくじけそうでした。大会一週間前、「あと一週間頑張れば」という気持ちと「あと一週間じゃ間に合わない」という気持ちが入り乱れていましたが、日は刻々と過ぎていきます。そして、私の気分的には、準備万端とは言えないままのビッグアイランド(ハワイ島)入りでした。ビックアイランドへ行ってからもレッスンは続きます。より良いものにしようとクムは直前になっても振りを変えたりするんです。そんなこんなでボロボロになりながらの初メリーモナーク、初日のカヒコ(古典フラ)は、相変わらずチャンティング(詠唱)をしながら踊るスタイルで、最後の力を振り絞り、アウアナはこれで最後だと、自分に言い聞かせ燃え尽きました。まさに、「燃え尽きた」という言葉は、この日、この時、私のためにあった言葉だと思うぐらいです。初メリーモナークの感想をよく聞かれたのですが、その度に私が答えたのは、「メリーモナークはベイビーデリバリー」。出産経験はないけど、出産中はあまりの痛みに、「もう2度と子供なんか産まない!」と思っても、産まれてきた子供の可愛さに、痛みを忘れてもう一人欲しくなる。私の初メリーモナークはそんな感じでした。
(つづく) (2009年1月更新)
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