第4回 すわっ、切迫流産!
●薄氷を踏むような生活妊娠前期、特に受精卵が細胞分裂を繰り返し、胎児の主な器官が作られる第12週あたりまでは、とても大事な時期だといわれています。それに呼応するかのように、多くの妊婦さんが悪阻(つわり)に悩まされたりしますよね。わたしにとっては、「気持ち悪い」状態に「切迫流産」の危機が重なる最大の難関だったのが、ちょうどこの頃でした。過去に第10週、13週で2度も稽留流産を経験。無事に出産した長女のステフの時ですら、「もう、絶対ダメだ」と思うほどの出血で、エマージェンシーに駆け込んだことがあるくらいです。
今回の妊娠は最後のチャンスかもしれない… という思いもあり、なんとかこの時期を無事切り抜けるべく、体調管理にはとても気を配りました。仕事は大幅にセーブしながらも続けました。夕食後は片付けから長女のお風呂、寝かしつけに至るまで、ぜ〜んぶパパにバトンタッチ。午後8時に就寝という、小学生以来の生活を送ったのでした。おまけに、普段のバタバタとした動作はどこへやら。気持ちの上では薄氷の上を歩むがごとく、スリスリと(あくまで本人は… )動いておりました。にもかかわらず、またしても第8週で出血してしまったのです! 本当にこれだけは、何度経験しても「慣れる」ということがありません。何て言うんだろう… 「いきなり後頭部をガ〜ンと殴られた」というか「いきなりバケツの水を頭から浴びせられた」ようなショック。その直後に「どうしよ、どうしよ、どうなるんだろ… 」といった不安が津波のようにドバ〜っと一気に押し寄せてきて、マジで数秒間は全身の血が逆流します。ようやく深呼吸をして気を静めてから、とりあえずドクターに電話して診察に駆け込みます。
切迫流産の場合、少量の出血を何度か繰り返すのが特徴で、それでも無事に赤ちゃんが育つ場合もあれば、たとえ出血が微量でもダメな場合もあり、結果はそれこそ「神のみぞ知る」。日進月歩の現代医学をもってしても、出来ることといえば8週目以降なら超音波で心拍を確認し、黄体ホルモンの注射を打つことくらい。この「黄体ホルモン」もその効果については賛否両論があるようです。ハワイでは数年前までは保険でカバーされる治療法でしたが、現在では保険もきかず、入手も難しくなったようで、一般にはあまり使われていないようです。あとは、ただ「横になる」「何にもしない」ことしか術がありません。
●診察はあくまでマイペース頼りにするコササ先生、「お願い、何とかならないの〜!!」 切羽詰まった妊婦を相手に、診察室での会話はあくまでマイペースに進みます…
先生:「(超音波を見ながら… )オー、これがハートビートね。しっかりした心拍ですよ。ストロング・ベイビー!」
わたし:「あっ、そうですか、良かった! (ちょっと疑いの視線を投げかけながら… )心拍だけで状態が分かるんでしょうか?」
先生:「分かりますよ〜。あっ、前置胎盤(胎盤が子宮口をふさいでいること。出血の原因となる)ではないようですね」
わたし:「… (ホンマかいな)… じゃあ、出血の原因は…?」
先生:「アイ・ドント・ノウ・フォー・シュアー」
わたし「…… (ちなみに毎回こう言われます。そのたびに「ドヒャ〜、なんで分からんねん!! そしたら、この状態はどうするねん!!」と思いつつ食い下がります) 先生、何か奥の手はないのですか? 長女の時は注射を週3回までに増やして、この時期を乗り越えましたが、今回も同じようにできないでしょうか?」
先生:「ん〜、(しばし考えた後)、じゃあね、今度は注射じゃなくって『座薬』をやってみましょう」
わたし:「ヘッ、ざ、ざやく? それって何ですか?」
先生:「これはカピオラニの薬局でしか扱ってないスグレモノの「黄体ホルモン膣座薬」なんですよ。これなら通院しなくてもいいしね。はい、これが処方箋。あとはベッドレスト(横になること)。もう分かってますね〜、テイク・イット・イージー!」
知りたがりやで不安症のわたしとしては、「原因を特定してほしい」「がっちり処置・管理してほしい」と切に願う訳ですが、いつもこんな感じの診察で終わってしまいます。ドクターの診断を信頼してはいるものの、日本の雑誌なんかを読むと「流産止めの処置をした」とか「出血が止まるまで入院した」とかいう体験談がよく載っているので、「日本だったらもっとあれこれ手を尽くしてくれるのかなぁ… この状態なら確実に入院だよな」と考えてしまったことも、正直いってありました。でも医療費がバカ高いアメリカです。「大事をとって入院」でもしようものなら、一財産無くしてしまいます(いや、借金かもしれない… 入院費をローンで返している人はい〜っぱいいますから)。長女の世話にも困ることだし、やっぱ、注射と座薬で挑むのがベストだ! と、グルグル思考した後、ようやく吹っ切れました。
スグレモノらしい膣座薬は、お世辞にも快適とはいえないシロモノだったけれど、毎晩処方することで気分的には安心感がありました。その効果もあってか、その後も少量の出血を繰り返したものの大事には至らず、10週目と12週目に念のため超音波で心拍を確認しながら、切迫流産の危機をなんとか乗り越えることができました。
●思い知らされた生命の尊さ
横になって過ごした約1ヶ月の間、何が辛かったかというと、「不安との闘い」が一番大変でした。ふとした瞬間に湧き上がってくる「ダメじゃないのか?」という重くて暗〜い疑念。超音波で確認した胎児は豆粒大だけど、手も足もある「人間=我が子」として既にしっかり目に焼き付いています。それを失うことはどうにもツラすぎる… 「初期流産
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