Kyoko & Akiko's "Mahalo Hawaii" vol.1 Happy New Year
話題の人気ショップよりも、近所のパパママストアや老舗店をこよなく愛し、サイミンにはからし醤油をつけ、キカイダーに敬意を払い、ピジン英語もお手のもの …。そんなハワイのローカルライフにどっぷり浸かったライターのキョーコ(地元日本語日刊紙「ハワイ報知」元記者)とMyハワイ編集部明子(地元日本語月刊誌「ハワイパシフィックプレス」元記者)が、ハワイへの感謝の気持ちをこめてお送りする新連載! 観光情報とはひと味ちがう、目抜き通りから1本奥に入った知られざる、そして愛すべきハワイのローカル情報をお届けします。毎回テーマを決め、それについて綴ったエッセーでローカル度を競うローカル自慢バトル。2人とも友情にひびが入る覚悟で臨む真剣勝負です。応援よろしくお願いしま~す。2人のプロフィールはこのページの一番下をご覧くださいね。
■キョーコのエッセイ:ハワイのお正月(日系家庭編)
みなさま、新年明けましておめでとうございます。そして明子さん、長いこと2人でアイデアを膨らませてきた新連載がようやくスタートすることになりましたね。お手柔らかにお願いします。
さて、記念すべき第1回目はワタクシの先攻ということで、お題は「ハワイのお正月」。
ハワイのお正月といっても、豚の丸焼きを囲んでブルーハワイを飲んだり、ウクレレの音にあわせてフラを踊ったりして、お祝いしているわけではありません。
さまざまな人種、文化が共存するハワイでは、新年の迎え方もいろいろですが、ハワイに嫁いだ四半世紀前から、ワタクシがみてきたハワイの日系人家庭の、ローカル色満点のお正月をここでご紹介します。
さて、日系人家庭の多くはお昼、もしくは夕食時に親戚の家に集います。わが家も元日はパールシティという場所にある叔父宅で毎年過ごします。このあたりは比較的日系人が多く住んでいることから、玄関先に門松を置いている家もあります。
ホスト役のファミリーが6~7割のお料理を用意して、残りはそれぞれの家庭で持ち寄るポットラックスタイルが主流です。日本のように重箱におせち料理をいれるというより、1世の代から伝わる「煮しめ」「黒豆」「きんとん」「数の子」といったおせち料理を皿に盛って出す家庭が多いようです。
叔父宅で行なわれた去年と今年の新年パーティの食事風景がこちら。
おせち料理は脇役的な存在です。やはりチキンカツ、ステーキ、カルビなどが人気。もちろん焼きそばやいなり寿司も外せません。
でもローカルのお正月料理には欠かせないのは、なんといってもまぐろのお刺身。ポケスタイルにする家庭も多いです。それでお正月前になるとみなさん、マグロの価格が気になってしょうがない。
地元の新聞でも年末にはマグロに関する記事が1面トップに掲載されるほど。ハワイでは「正月=マグロ」といっても過言ではありません。
いろいろな料理をテーブルいっぱいに並べ、各々好きなものをよそっていくブッフェスタイルが主流。そして食べながら日本語テレビ「KIKU」で元日に放映される「NHK紅白歌合戦」を観るのが、日系家庭のお正月です。
叔父宅に集う親戚は日系3、4世の中年層が多いため、 前半に多く出場するアイドル系にはあまり興味がないようですが、大人数のAKB48や乃木坂46が登場しますと、「あれだけいたら、2~3人いなくても誰も気付かないね」「キョーコも後ろのほうならわからないよ」などと不謹慎な発言が飛び交います。
中高齢層の日系人の間で絶大な人気を誇るのが五木ひろし、森進一といった演歌陣。どの日系家庭にも「40年ぐらい前にHIC(現ブレイズデルセンター)に森進一の公演、観に行ったわ~」と自慢げに話すおばさんが必ず1人はいるはずです。そして「やはり歌唱力がある」「イイ歌だ」とひとしきり褒めたあと、ベテラン歌手の老化ぶりを嘆くのです。今年の紅白の犠牲者は森進一。「際立って老けている」「整形したのかしら」などと散々でした。お気の毒。
そして日松堂やFUJIYAのお餅を食べると、そろそろ帰り支度です。ホスト役の奥様が容器やジップロックに残ったお料理を持ち帰り用に入れてくれます。遠慮せずにいただいて、片付けを手伝い、「今年も1年元気でね」とそれぞれ帰宅の途につきます。
これが四半世紀にわたり、ワタクシがみてきたハワイの日系家庭のお正月でございます。 昭和の香りがただよって、なかなかイイでしょう、明子さん。
■明子のエッセイ:ハワイのお正月(中国系家庭編)
キョーコさん、さすが日系人家庭ならではのお正月! いいですね~。連載の打ち合わせ中に「お手柔らかに」とお願いしたにもかかわらず、初回からものすごい勢いではないですか! よし、私もがんばりますよ。
さて、お正月でございます。我が家は基本的にポルトガル(義母側)&中国系(義父側)なので、1月1日のお正月はそれほど盛り上がらないのですよ。毎年ちょこっとお煮しめを作るくらいで。
が、しかし、チャイニーズ・ニューイヤー(中国の旧正月)には、力を入れますよ~。ハワイに来てびっくりしたのが、チャイニーズ・ライオンダンス(中国の獅子舞)の人気と派手さ。日本の赤や黒、金の頭に唐草模様の獅子舞が、とってもおとなしく見えてしまうほど。いや、もうギラギラで、目は光るし、ボディはラメに覆われているし(ちなみに沖縄系の獅子舞は、日本の獅子舞と頭は同タイプながら、ボディはふさふさの毛だらけなのですが、この辺の考察は長くなるので割愛させていただきます)。
また動きが派手。基本的に前後1人ずつが中に入り、上半身と下半身をそれぞれ担当するのですが、均等に並べた高いポールの上を飛びわたったり、上半身担当者を下半身担当者が持ち上げたり、転がったり、高いところに吊るされた掛け軸を口で取ったりと、すごいのです。子どもが入ったミニサイズの獅子舞だって、かなりのアクロバティックさ。キレキレの動きが楽しめます。
鳴り物も金と太鼓をじゃんじゃん鳴らし、盛り上がるのなんのって。爆竹の音とあいまって、おめでたさ100%。たくさんの人々が群がって、いやはやもう大モテです。
聞くところによると、ハワイには「ライオンダンス保存会」がたくさんあり、子どもから大人までがかなり熱心に活動しているらしいのです。で、旧正月はもちろんのこと、お店の開店やベビールアウ(子どもの1才の誕生日)、厄年パーティー(ハワイ独自の42才の男性のお祝い)などに呼ばれ、各所で技を披露する、と。ちなみに旧正月の日には毎年、我が社にもライオンダンス保存会の方々が来て下さいます。縁起物なので、嬉しいんですよね~。
ライオンダンスがはじまると、皆さん手に手に$1札を握り締め、我先に獅子舞に殺到します。いわばご祝儀ですが、「獅子舞に$1を食べてもらうと縁起が良い」といわれているのですね。私は最近ますますオバチャン度を増しておりますので、取材や会社でライオンダンスが始まると、すばやく$1札を取り出し、会社の若い子達ににぎらせてしまいます。「さあ、ライオンの口に持っていきなさい」ってね。その淀みのなさたるや、ハワイ生まれの人々にも引けをとりませんよ(きっぱり)。
ちなみに、昨年秋のアラモアナセンター、エヴァウィングのオープニングにも獅子舞が登場したのですが、そのときも流れるような動きで$1札を取り出し、ライオンの口元に持っていったのは、言うまでもありません。ライオンも心得たもので、口元に$1札を持っていったら、中からキュッと手を引っ張ったりしてくれます。で、私を含めたオバチャンたちは「キャッ!」などと喜ぶわけですな。
ライオンダンスに嬌声を上げ、ジャイ(野菜の煮物)やガウ(餅)といった正月料理を食べながら、ハワイのチャイニーズ・ニューイヤーは楽しく過ぎていくのです。キョーコさん、今年こそは一緒にチャイナタウンの旧正月に繰り出しましょうね!
■関連記事/人気連載「ハワイの新名物を探せ!」第11回、この時期の名物料理「ジャイ」ってなんじゃい?
キョーコのプロフィール
神奈川県の鵠沼生まれ、茅ヶ崎育ち。丙午のバブル世代。
1988年からハワイ在住。日本語が飛び交わない米本土の田舎町に留学しようとしたが、父親に猛反対され、交渉の末に決まった留学先がハワイ。
家族
学生時代に知り合った韓国/日系4世の夫と、40歳目前でやっとこさ授かった娘の3人。大規模な再開発計画が進行中のオアフ島カカアコ地区在住。
ローカル歴
1991年からハワイ観光局マーケットリサーチ部にインターンとして勤務、翌年からフルタイムのアジア太平洋地区担当職員に採用される。ローカル率95%の職場で、ハワイアンカルチャーやピジン英語、さらには「仕事は楽しく、職場にはおやつ常備」の精神を学ぶ。
入社5年後、マーケットリサーチの仕事が外部委託されることになり、部署解散。翻訳業などを経て、1998年から創業1912年の日本語新聞社「ハワイ報知」に編集部員として勤務。日系退役軍人や県人会、ゲートボールクラブ、舞踊団体、文化交流グループ、日系食料品店など、さまざまな分野の取材を通じてローカルライフにどっぷりと浸かっていく。
ハワイに支部がある日本の俳句結社「ゆく春」の主宰と取材を通じて知り合い、俳句に魅せられる。数年に渡る主宰からの添削指導を受け、時間のあるときに「ハワイ歳時記」をもとにハワイらしい俳句をぽつぽつと詠んでいる。最近短歌をはじめた明子女史にライバル意識をメラメラと燃やしている。
2013年思い切ってフリーランスに。ハワイ報知のほか、ハワイアン航空機内誌「ハナホウ」やMyハワイなどでローカル情報やハワイアンカルチャーに関する記事の執筆、翻訳作業に関わる。
好きな言葉
ハワイアンスタイルバンドのヒット曲のタイトルにもなった“live a little(もっと人生楽しもう)”。更年期とミドルエイジクライシス(中年の危機)に陥り気味の自分に言い聞かせている。
キョーコのブログはこちらからご覧ください。
明子のプロフィール
福岡県福岡市生まれ大阪府堺市育ち。
現在はオアフ島モアナルアバレー在住。同じくバブル世代。1999年からハワイ在住。
家族
夫(中国、ポルトガル系、その他もろもろ。ハワイ島カウ生まれ、オアフ島パウオアバレー育ち)。義母(ポルトガル系。ハワイ島カウ生まれ)。子なし。
ローカル歴
大伯父2人がハワイ島のプランテーションに移民。1人は日本に戻るが、もう1人は契約終了後もハワイに残り、オアフ島で内装業を営む。子ども時代より、大伯父から送られたマカダミアナッツなどに親しみ、ムウムウ着用。大学時代、オアフ島リーワードに居住していた叔母の家を訪ね、一瞬でハワイの虜に。将来ここに住むと一人誓う。
1994年、語学研修にハワイへ。3ヵ月のつもりが縁あって1年半滞在。その後就職し貯金に励み、1999年ハワイ大学(UH)アジア太平洋研究科に入学。大学&大学院と通算7年通う。学生時代にMyハワイ(当時はハワイの歩き方)にて、大食いクラブ会長A子の名前でB級グルメ情報やB級生活情報などを連載。ハワイのパパママストアをこよなく愛するようになる。
並行してハワイ出雲大社でボランティアをはじめ、その縁でHawaii Pacific Pressでインターン&弟子生活。弟子生活は10年以上にも及び、442連隊、MISなどハワイならではの歴史に心惹かれるようになる。また、YOH(ヤング・オキナワンズ・オブ・ハワイ)という盆ダンスクラブにも加入。退部した今でも沖縄系の盆ダンスの振り付けはばっちりで、あまりの踊りっぷりに驚かれること多数。
某取材でキョーコさんを紹介され、年齢が同じ&共通点多数で意気投合。Myハワイに誘う。紆余曲折を経て、今回の連載が実現。キョーコさんの俳句に対抗したわけではないが、昨年、隔月短歌同人誌「ふゆみどり」を何気なく手に取りいたく感激、ハワイ短歌会に入会。久々の若手気分を味わっている。
好きな言葉
"If can can if no can no can (やれたらやるし駄目なら駄目、気楽に行こうぜ的なピジンのスラング)"。
匿名 said on 2017年05月20日
FUJIYAの中島と申します、今更のコメントですが、お餅を取り上げて頂きましてありがとうございます!
今後共よろしくお願い致します。
Akiko said on 2016年01月07日
AuntyAyaさん、ありがとうございます!今後もマニアックにやっていきますので、よろしくお願いします!
Aunty Aya said on 2016年01月07日
キョーコさんと明子さんのバトル、初っぱなから最高!今後も楽しみにしていますよ〜。