Kyoko & Akiko's "Mahalo Hawaii" vol.5 Potluck
話題の人気ショップよりも、近所のパパママストアや老舗店をこよなく愛し、サイミンにはからし醤油をつけ、キカイダーに敬意を払い、ピジン英語もお手のもの …。そんなハワイのローカルライフにどっぷり浸かったライターのキョーコ(地元日本語日刊紙「ハワイ報知」元記者)とMyハワイ編集部明子(地元日本語月刊誌「ハワイパシフィックプレス」元記者)が、ハワイへの感謝の気持ちをこめてお送りするこのシリーズ! 観光情報とはひと味ちがう、目抜き通りから1本奥に入った知られざる、そして愛すべきハワイのローカル情報をお届けします。毎回テーマを決め、それについて綴ったエッセーでローカル度を競うローカル自慢バトル。2人とも友情にひびが入る覚悟で臨む真剣勝負です。応援よろしくお願いしま~す。2人のプロフィールはこのページの一番下をご覧くださいね。
■先攻・キョーコ:持ち寄り料理の分担で毎回葛藤
いや~ハワイの人って、ポットラックが好きですねえ。あ、日本の方にはこの「ポットラック」って、あまり馴染みがないかもしれませんが、食べ物持ち寄りのパーティのことです。
子どもの学校のイベント、同僚の退職、誕生、結婚パーティ、出産を間近に控えた友人のベビーシャワー、親戚が集う新年会…
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この年末年始は娘の学校やクラブ活動、友人、親戚とポットラックの多かったこと。ようやく、ここしばらくはポットラックの予定はなさそうで、ホッと一息ついております。そんなわけで(どんなわけだ)明子さん! バトル第5弾のテーマは「ポットラック考」 。
実は今回のバトルを前に、明子さんに「ポットラックなんてどうかしら〜?」とご意見を伺ったのですが、最初は「良いですね〜。楽しいですもんね〜」と和やかだった明子さんですが、すぐに勝負魂に火が付いちゃったようです。
「あると絶対便利なものとか、アルミのコンテナは何回まで洗って使えるとか、巨大クーラーに黒々と苗字を書くとか…(原文のまま)」
ポットラックのオタク知識がでるわ、でるわ…
負けずにワタクシも「苗字入りのオタマがあるぞ〜」と画像付きで対抗いたしました。
すでにバトルの火ぶたが切って落とされたのでした。
さてポットラックに欠かせないのがしっかり者の幹事さんです。幹事さんがいないと、同じような食べ物が集まるという悲惨なパーティになってしまいます。
親戚や友人たちのパーティでは、電話やLINEで気軽に「じゃ、これ持って行くわ」と教え合えばいいのですが、人数の多い学校やクラブ活動のイベントでは「アサインシート」は必須です。参加者がおのおの持参するものを記す用紙ですね。
通常アサインシートはこんな感じになっております。↓
アサインシートに記入するとき、心配性のワタクシにはこんな声が聞こえてきます。注)実際にはそんなこと誰も言っちゃおりません。
「またランちゃん、手のかからないデザートよ」
「この前もマラサダだったじゃない」
「でも大五郎なんて3回連続白米よ。あれはずるい」
気が弱く、ええかっこしいのワタクシ、アサインシートを前にあれこれ悩みます。
「ケチって思われたらいやだな」
「みんなの好きなスパムむすびにしようかな。でもそんな暇も体力もないな」
心の中で激しい葛藤が繰り広げられます。悩んでいる間に、人気のデザート部門がすべて埋まってしまい、焦ります。
そして、そんなに高くないけど、ゴージャス感があり、冷凍だから簡単だし、みんなが大好きだから、やっぱりアレにしよう。そうワタクシの大好物「ラザニア」です。最近はこればっかりです。「サムズクラブ」のラザニアはいつも好評です。しかもワタクシの手作りかと思われています。
そうそう、ポットラックの苦い思い出といえば、娘が幼稚園児のころに学校で行なわれた家族イベント。「ヘルシーなものをお願いします」とあったので、ワタクシは「スイートポテト」にしたのですが、これがもう大変で。蒸かしたイモをつぶすのだけで何時間かかったでしょうか。
完成したころにはフラフラで、みんなのお料理を楽しむ気力もなく、「あの日なにが起きたかまったく記憶にない」という悲しいポットラックとなりました。
■後攻・明子:ポットラック失敗談
恭子さん、さすがポットラックのベテランは考察が深いですね~。そうなんですよね、簡単そうで難しいのがポットラック。いやはや、ポットラック道は楽しいながらもなかなか険し。
先攻エッセイで私の書きたいことはほとんど網羅しつくされてしまったため、後攻では私が数限りなく参加、または主催してきたポットラックのなかから、「あーしまった!」と額をピシャリと叩きたくなった失敗談をいくつか披露してお茶を濁してしまおうかな、と思っております。
(失敗談その1)アラモアナビーチパークで楽しくピクニック…のはずが!
これは編集部でポットラックを企画したときのこと。「新しい編集部員たちも入ったことだし、チームワーク増強のためにひとつポットラックを!」と、ムクムクとオバ心を出した私。さっそく「週末にアラモアナビーチパークのマジックアイランドに集合、ご家族やお友達もどうぞご一緒に」とおふれをだし、当日早朝から乗り込んで敷物やテーブル、食べ物も用意し、皆の到着を待ちました。ところが! 待てど暮らせど、誰もやってきません。「何故に?」と不安が募ってきたころ、次々と電話が。「駐車場がいっぱいです!」「どこにも車を停められません!」そうでした、週末のマジックアイランド、特にお昼時は駐車場が激込みなのでした。張り切って早朝から乗り込んでいた私は、スムーズに車が停められたのですが、そのあとあっという間にパーキングが満杯になっていたのですね。その後、パーキング争奪戦で心身ともに疲れきったメンバーたちがふらふらと登場。ものすごく遠くに車を停めて歩いて来てくれた子もいました。車社会のハワイで、パーキングの確保はかなり重要なのでした。反省!
教訓その1:ポットラックはスムーズに駐車できる場所で行うべし。
(失敗談その2)「ちょっとキッチン使わせて」にうまく対応するには
次は自宅でポットラックをしたときのこと。その日は張り切って、何品も作ったのです。でもあれこれ考えているうちに取り掛かるのが遅くなったため、皆がやって来るギリギリまでお料理をし続けるハメに。「あとこれを仕上げたらおしまいだ」と髪振り乱しラストスパートを突っ走っていたところ、30分も早く、「ピンポーン」と玄関の呼び鈴が! そこにはニコニコ顔の参加者が数名。「大なべにいっぱいのシチューを作ったから、温めていい?」という人と、「オーブン使わせて~」という人が! 「な、何ですって! 今ラストスパートの真っ最中! しかもキッチン散らかっているんですけど」と大慌てで片付けるハメに。この「ちょっとキッチン使わせて」は、自宅でのポットラックのときに度々発生するので、要注意ですよ。この大慌てを避けるには、「とにかく早く取り掛かるに限る」ですね。でも、これで驚いてはいけません。「ちょっと庭先使わせて」といきなり我が家の庭にプロパンボンベと巨大中華なべを持ち込み油たっぷりの本格中華を作ったり、炭火で焼き鳥を焼いた男子もいたのです。もう、火事を出すのではと、気が気ではありませんでした。出来立ての中華や焼き鳥は美味しかったけどね!
教訓その2:「ちょっとキッチン使わせて」の声に慌てないためにも、早めに片付けておくが吉。
(失敗談その3)「アボカドの種」で被害続出
私がポットラックによく持っていく定番メニューに、「エビとアボカドのサラダ」というのがあります。アボカドを粗く刻んでゆでたエビと一緒にわさびとマヨネーズ、レモンで和えるだけの簡単メニューなのですが、彩りもよく老若男女皆に楽しんでもらえるんですよ。ただ、アボカドは最初は緑ですが、時間が経つと茶色く変色してしまうんですよね。それを防ぐには、アボカドの種をごろっと、一緒にサラダに混ぜ込んでおくといいんです。ただ、気をつけないといけないのは、食べる直前にアボカドの種を取り出すべし、ということ。これをよく忘れてしまう私、必ず間違えてアボカドの種にかじりつき、あまりの硬さに悲鳴を上げる人を続出させてしまいます。「もう、歯が折れるかと思ったよ」「卵かと思ったら種とはひどい!」などと、何度叱られたことか。一度自分で作っておきながら、自分で取ってかじりついてしまったことがあるのですが、そのときのなんともやるせない気分ときたら。無精者の自分を大いに反省したのでした。
教訓その3:アボカドの種や、マナプアの底の紙、お菓子の銀紙などは面倒でもキチンと取り除くべし。思わぬ被害が発生するおそれあり!
キョーコのプロフィール
神奈川県の鵠沼生まれ、茅ヶ崎育ち。丙午のバブル世代。
1988年からハワイ在住。日本語が飛び交わない米本土の田舎町に留学しようとしたが、父親に猛反対され、交渉の末に決まった留学先がハワイ。
家族
学生時代に知り合った韓国/日系4世の夫と、40歳目前でやっとこさ授かった娘の3人。大規模な再開発計画が進行中のオアフ島カカアコ地区在住。
ローカル歴
1991年からハワイ観光局マーケットリサーチ部にインターンとして勤務、翌年からフルタイムのアジア太平洋地区担当職員に採用される。ローカル率95%の職場で、ハワイアンカルチャーやピジン英語、さらには「仕事は楽しく、職場にはおやつ常備」の精神を学ぶ。
入社5年後、マーケットリサーチの仕事が外部委託されることになり、部署解散。翻訳業などを経て、1998年から創業1912年の日本語新聞社「ハワイ報知」に編集部員として勤務。日系退役軍人や県人会、ゲートボールクラブ、舞踊団体、文化交流グループ、日系食料品店など、さまざまな分野の取材を通じてローカルライフにどっぷりと浸かっていく。
ハワイに支部がある日本の俳句結社「ゆく春」の主宰と取材を通じて知り合い、俳句に魅せられる。数年に渡る主宰からの添削指導を受け、時間のあるときに「ハワイ歳時記」をもとにハワイらしい俳句をぽつぽつと詠んでいる。最近短歌をはじめた明子女史にライバル意識をメラメラと燃やしている。
2013年思い切ってフリーランスに。ハワイ報知のほか、ハワイアン航空機内誌「ハナホウ」やMyハワイなどでローカル情報やハワイアンカルチャーに関する記事の執筆、翻訳作業に関わる。
好きな言葉
ハワイアンスタイルバンドのヒット曲のタイトルにもなった“live a little(もっと人生楽しもう)”。更年期とミドルエイジクライシス(中年の危機)に陥り気味の自分に言い聞かせている。
キョーコのブログはこちらからご覧ください。
明子のプロフィール
福岡県福岡市生まれ大阪府堺市育ち。
現在はオアフ島モアナルアバレー在住。同じくバブル世代。1999年からハワイ在住。
家族
夫(中国、ポルトガル系、その他もろもろ。ハワイ島カウ生まれ、オアフ島パウオアバレー育ち)。義母(ポルトガル系。ハワイ島カウ生まれ)。子なし。
ローカル歴
大伯父2人がハワイ島のプランテーションに移民。1人は日本に戻るが、もう1人は契約終了後もハワイに残り、オアフ島で内装業を営む。子ども時代より、大伯父から送られたマカダミアナッツなどに親しみ、ムウムウ着用。大学時代、オアフ島リーワードに居住していた叔母の家を訪ね、一瞬でハワイの虜に。将来ここに住むと一人誓う。
1994年、語学研修にハワイへ。3ヵ月のつもりが縁あって1年半滞在。その後就職し貯金に励み、1999年ハワイ大学(UH)アジア太平洋研究科に入学。大学&大学院と通算7年通う。学生時代にMyハワイ(当時はハワイの歩き方)にて、大食いクラブ会長A子の名前でB級グルメ情報やB級生活情報などを連載。ハワイのパパママストアをこよなく愛するようになる。
並行してハワイ出雲大社でボランティアをはじめ、その縁でHawaii Pacific Pressでインターン&弟子生活。弟子生活は10年以上にも及び、442連隊、MISなどハワイならではの歴史に心惹かれるようになる。また、YOH(ヤング・オキナワンズ・オブ・ハワイ)という盆ダンスクラブにも加入。退部した今でも沖縄系の盆ダンスの振り付けはばっちりで、あまりの踊りっぷりに驚かれること多数。
某取材でキョーコさんを紹介され、年齢が同じ&共通点多数で意気投合。Myハワイに誘う。紆余曲折を経て、今回の連載が実現。キョーコさんの俳句に対抗したわけではないが、昨年、隔月短歌同人誌「ふゆみどり」を何気なく手に取りいたく感激、ハワイ短歌会に入会。久々の若手気分を味わっている。
好きな言葉
“If can can if no can no can (やれたらやるし駄目なら駄目、気楽に行こうぜ的なピジンのスラング)”。
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