ハワイのホテル、グルメ、ショッピング、オプショナルツアーなどの旅行情報 ホノルルから「ハワイ観光に役立つ最新情報」を毎日更新

キョーコ
人気連載「ハワイに感謝!キョーコと明子のローカル自慢バトル」

バトルその18:シャカ考

投稿者: キョーコ 更新日:2017年01月31日

Kyoko & Akiko's "Mahalo Hawaii" vol.18 Throw Da Shaka!

話題の人気ショップよりも、近所のパパママストアや老舗店をこよなく愛し、サイミンにはからし醤油をつけ、キカイダーに敬意を払い、ピジン英語もお手のもの …。そんなハワイのローカルライフにどっぷり浸かったライターのキョーコとMyハワイ編集部明子が、ハワイへの感謝の気持ちをこめてお送りするこのシリーズ! 観光情報とはひと味ちがう、目抜き通りから1本奥に入った知られざる、そして愛すべきハワイのローカル情報を1つのテーマで競作いたします。

■先攻・キョーコ:人となりが表れるシャカポーズ

ハワイで暮らしはじめて、日本にいたときと明らかに変わったことはといいますと…

– 飲み物の量が圧倒的に増えた

– マンゴーは買うものではなく近所の人からもらうものだ

そして…

– 写真撮影時のポーズがピースからシャカに

さて、最後の「シャカ」でございますが、単なる写真のポーズとお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、いえいえ、そうではございません。

手の甲を相手側に見せるか、どの程度の強さで親指と小指を立てるか…など、ポーズによって、その人となりが表れる(らしい)、大変奥の深いジェスチャーなのでございます。

kapiolani

さて、ワタクシが「シャカ考」なるものを真剣に研究(って大げさ!)するようになったのは、夫の祖母の影響にほかなりません。

お葬式や誰かのお見舞いで撮った写真以外は、ほぼすべて“両手シャカ”という祖母。自分でシャカポーズを決めるだけでは気が済まないらしく、他人のシャカポーズを見ては、評論家のように「力強さに欠ける」「自然じゃない」「あれは素直だ」などと批評するのです。ワタクシと夫は祖母のことを“シャカ博士”と呼んでいました。

さて、ワタクシも祖母から生前「キョーコサン、シャカヤッテミセテ」(日本語少し話せます)と言われて、何度シャカポーズを見せたことか。

祖母曰く、ワタクシのシャカは「ウンプがある」そうです。ウンプ…って意味分かりませんが、たぶん「パンチがある」ってことでしょうか。ウンプがありながら、握り具合が自然なのが「さらに良い」そうです。あら嬉しい。

3年ほど前、地元の雑誌で「シャカ特集」なるものが掲載されていました。

battle18-1

特集では基本的なベーシックシャカ、両手を使ったダブルシャカ、手の甲を見せて固めに握るビジネスシャカ、指を少々曲げ気味で「これでいいのかなあ」のツーリストシャカなど、タイプ別に紹介しています。また、ゆるめのマウイシャカやジャンケンのパーにちかいカウアイシャカなど、地域によっても違いがあるようです。

地元放送局KHONニュースでは、番組の最後に一般人のシャカポーズ姿が流れます。ときどき知り合いがいたりして、ついつい最後まで見てしまうのですが…。ある人は「あ〜早くカメラどっか行って」と恥ずかしそうに、ある人はカメラを追いかけて最後の最後までポーズするなど、さまざまです。

battle18-2

祖母もこのニュースを毎日欠かさず観ていたようです。毎日登場するさまざまなシャカポーズを見比べているうちに“シャカ博士”になってしまったと思われます。

さて、ワタクシが1番かっこいいと断言できるのは、ドライバーに道を譲ってあげたときに、スーッと開いた窓から出てくるロコボーイの「マハロシャカ」。日に焼けた褐色の肌に、いい感じでモリッと筋肉がついていれば言うことなしでございます。

「道を譲ってあげて良かったわ〜」と、オバちゃんはその日、家に着くまでハッピーな気分でいられます。

ワタクシが今までで見た最高のシャカですが、30年近く前に出会ったこちらのロコボーイのシャカ。

battle18-3

ワタクシの愚夫でございます。今は太って別人のようですが。

ワタクシが結婚を決断するうえで、ヤツのシャカが少なからず影響を与えたことは間違いありません。

■後攻・明子:心あたたまるシャカ

キョーコさん、最後に爽やかなシャカの写真を出すなんて、もう完璧勝利ではないですか! いやあ、青春映画の一コマですな。確かに、ロコボーイのシャカに叶うものはありませんね。と、言うわけで、わたしもまず、ロコボーイのシャカから。夫ではありませんけどね。下の写真はマウナルアのお三方。良いシャカですよね~。

aruaru8

シャカで思い出すことといえば…。実は私、2014年から15年にかけて、しばらく家から働いていたことがあったんです。父の病状が悪くなったため、日本に何度も帰らなければいけなかったことと、そのようなストレスがたまりすぎたのか、私が病気になってしまったからなのです。

病気はもう完治したのですが、原因がわかるまで、脳波の検査やCTスキャン、MRIなどを何度も受けなければなりませんでした。頭の検査なんて、怖いですよね。検査室に入るときなどは、いくら押しも押されもせぬ中年の私とはいえ、ドキドキもの。でも、ロコボーイの検査技師さんたちが、検査の前に皆そろいもそろってシャカをしてくれたのです。「大丈夫だよ。気楽に行こうぜ!」って感じですかね。そのシャカで勇気百倍。リラックスして検査を受けることができました。早期発見、早期治療のおかげで、もうすっかり元気ですが、いまだに技師さんたちの爽やかなシャカは覚えています。真っ白な歯とさっと出すシャカ、これはロコボーイの2点セットとでもいうべきもので、ハワイの円滑なコミュニケーションには欠かせませんね。

ハワイ出身のオバマ前大統領も、なかなか味わい深いシャカを繰り出される方でした。一番印象深いのは、2009年の就任パレードのとき。母校のプナホウ校のマーチングバンドにシャカで挨拶している姿が、地元のテレビで一斉に放映されたのを覚えています。もう一度その姿をと、YouTubeで探してみたところ、ありました、ありました。マーチングバンドに投げかけたシャカは、クイクイと小刻みに手首を回転させるタイプのシャカ。遠くからでもわかりやすいように、配慮されたものと思われます。そのときはまだ小さかった、次女のサーシャさんも、お父さん譲りのシャカをしっかり決めて、微笑ましいですね。

ロコガールのシャカといえば、1997年にMiss Universeの栄冠に輝いた、ブルック・リーさんの満面の笑みとシャカが印象に残っています。韓国、ハワイアン、中国、オランダ、ポルトガル、イギリス、フランスと、様々な民族背景を持つブルックさんの、優雅で上品な美しさは圧倒的で、うっとりとしてしまうほどなのですが、栄冠に輝いたあと力強くシャカサインを出す姿は、まさにキュートで健康的なロコガールそのもの。ご家族やお友達、ハワイの人々はさぞかし誇らしかったのではないかと思われます。ブルックさんのシャカは、指をピンとのばしたエレガントなシャカ。う、美しい…。

さて、最後に私のシャカですが…。シャカをするときは、右頬のすぐ斜め下あたりに出すようにしております。いや…すこしでも、小顔効果があるかな~と思いまして。寧ろ逆効果だったりするんですけどね。

キョーコのプロフィール

キョーコ

神奈川県の鵠沼生まれ、茅ヶ崎育ち。丙午のバブル世代。
1988年からハワイ在住。日本語が飛び交わない米本土の田舎町に留学しようとしたが、父親に猛反対され、交渉の末に決まった留学先がハワイ。

家族

学生時代に知り合った韓国/日系4世の夫と、40歳目前でやっとこさ授かった娘の3人。大規模な再開発計画が進行中のオアフ島カカアコ地区在住。

ローカル歴

1991年からハワイ観光局マーケットリサーチ部にインターンとして勤務、翌年からフルタイムのアジア太平洋地区担当職員に採用される。ローカル率95%の職場で、ハワイアンカルチャーやピジン英語、さらには「仕事は楽しく、職場にはおやつ常備」の精神を学ぶ。

入社5年後、マーケットリサーチの仕事が外部委託されることになり、部署解散。翻訳業などを経て、1998年から創業1912年の日本語新聞社「ハワイ報知」に編集部員として勤務。日系退役軍人や県人会、ゲートボールクラブ、舞踊団体、文化交流グループ、日系食料品店など、さまざまな分野の取材を通じてローカルライフにどっぷりと浸かっていく。

ハワイに支部がある日本の俳句結社「ゆく春」の主宰と取材を通じて知り合い、俳句に魅せられる。数年に渡る主宰からの添削指導を受け、時間のあるときに「ハワイ歳時記」をもとにハワイらしい俳句をぽつぽつと詠んでいる。最近短歌をはじめた明子女史にライバル意識をメラメラと燃やしている。

2013年思い切ってフリーランスに。ハワイ報知のほか、ハワイアン航空機内誌「ハナホウ」やMyハワイなどでローカル情報やハワイアンカルチャーに関する記事の執筆、翻訳作業に関わる。

好きな言葉

ハワイアンスタイルバンドのヒット曲のタイトルにもなった“live a little(もっと人生楽しもう)”。更年期とミドルエイジクライシス(中年の危機)に陥り気味の自分に言い聞かせている。

キョーコのブログはこちらからご覧ください。

明子のプロフィール

明子

福岡県福岡市生まれ大阪府堺市育ち。
現在はオアフ島モアナルアバレー在住。同じくバブル世代。1999年からハワイ在住。

家族

夫(中国、ポルトガル系、その他もろもろ。ハワイ島カウ生まれ、オアフ島パウオアバレー育ち)。義母(ポルトガル系。ハワイ島カウ生まれ)。子なし。

ローカル歴

大伯父2人がハワイ島のプランテーションに移民。1人は日本に戻るが、もう1人は契約終了後もハワイに残り、オアフ島で内装業を営む。子ども時代より、大伯父から送られたマカダミアナッツなどに親しみ、ムウムウ着用。大学時代、オアフ島リーワードに居住していた叔母の家を訪ね、一瞬でハワイの虜に。将来ここに住むと一人誓う。

1994年、語学研修にハワイへ。3ヵ月のつもりが縁あって1年半滞在。その後就職し貯金に励み、1999年ハワイ大学(UH)アジア太平洋研究科に入学。大学&大学院と通算7年通う。学生時代にMyハワイ(当時はハワイの歩き方)にて、大食いクラブ会長A子の名前でB級グルメ情報やB級生活情報などを連載。ハワイのパパママストアをこよなく愛するようになる。

並行してハワイ出雲大社でボランティアをはじめ、その縁でHawaii Pacific Pressでインターン&弟子生活。弟子生活は10年以上にも及び、442連隊、MISなどハワイならではの歴史に心惹かれるようになる。また、YOH(ヤング・オキナワンズ・オブ・ハワイ)という盆ダンスクラブにも加入。退部した今でも沖縄系の盆ダンスの振り付けはばっちりで、あまりの踊りっぷりに驚かれること多数。

某取材でキョーコさんを紹介され、年齢が同じ&共通点多数で意気投合。Myハワイに誘う。紆余曲折を経て、今回の連載が実現。キョーコさんの俳句に対抗したわけではないが、昨年、隔月短歌同人誌「ふゆみどり」を何気なく手に取りいたく感激、ハワイ短歌会に入会。久々の若手気分を味わっている。

好きな言葉

“If can can if no can no can (やれたらやるし駄目なら駄目、気楽に行こうぜ的なピジンのスラング)”。

この記事が属するカテゴリー: B級グルメ, ハワイ暮らし・その他, 暮らし, 特集

1 response to バトルその18:シャカ考

  1. バトルシリーズが終了して寂しいです。またいつか再開してくださいね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*


人気連載「ハワイに感謝!キョーコと明子のローカル自慢バトル」


現地最新情報トップ5


前後の記事

さらにおススメ