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第07回 カホオラベ2話

投稿者: ハワイ歩き方事務局 更新日:2001年01月11日

第7回 カホオラベ2話


いよいよキャンプに行く2週間前、カホオラベに関する説明会を受けることになりました。本来、ハワイ大学に出向くところ、私達のグループが前例に無く大きい(約50人)ので特別にハラオのスタジオに講師を招くことになりました。講師は、カホオラベ島への上陸権をもつPKO (Protect Kaho`olawe Ohana)のメンバーと、PKOに交渉してくれたマウイ島のクムフラです。ビデオを見ながら島の歴史を勉強し、キャンプに持っていくもの、持っていってはいけないもの、などの説明を受けました。

何より大事なのは、「落ちているものは、自分が落としたもの以外、決して拾ってはいけない」ことでした。1つには、地雷除去が終了したとはいえ、未だ危険が残る場所であるためです。会の最後に「私の生命が失われても米軍には一切責任がありません」という主旨の書類に署名をしました。もう1つの理由は、素人には考古学上何が重要かわからないからです。これは上陸してからキーワードのように聞かされ、呪文のように口にした約束でした。

1番の問題点は、泳げない人達をどうするか、ということでした。空港も港もない島に上陸するには泳いで渡るしかありません。私達のグループのうち6人が、ほとんど泳げないか、全く泳ぎを知らない、と自己申告(これは当てにならない曲者で後になって8人に判明)しました。上陸方法は以前から聞かされていたので、それまで時間を見つけては、仲間うちで波の小さいアラモアナビーチで水泳の練習をしていました。日本では遠泳に平泳ぎを教えますが、面白いことに、ハワイでは泳げない人達にもまずクロールを教えます。そのためか、すぐ疲れてしまい、さんご礁の向こうまでなかなか辿り着けません。ともかく、こうした協力的努力がクムに認められて、前述の8人は救命具の着衣を許されました。カホオラベ島の周辺の海域は鯨の生息地として有名なだけでなく、鮫も回流しています。泳ぎながら下を覗くな、と何度も注意されました。これは、鮫を見つけてパニックに陥らないためです。

余談ですが、ハワイには泳げない人達が大勢います。同じように海に囲まれた日本とは大違いです。最近、報告された州政府の調査結果によると、4歳から14歳までの70%は「泳ぎを知らない」子供達でした。要因としてプールの数の少なさが挙げられます。公立でも私立でも、ハワイでプールを設置している学校はごく稀なのです。私とて、ハワイに来てからまともに泳いだことがありません。本土では、1年の半分は冬という場所に暮らしていたので、コンドミニアムについていた屋内プールで毎日泳ぐようにしていましたが、いつでも泳げる環境にあると、かえって意欲が減るというものです。

前年クムと共にカホオラベに行ったことのあるカネ達が2つのアドバイスをしました。「よい服や気に入っている水着をもって行かないこと」と「荷物は出来るだけコンパクトに」ということでした。ここ数年、雨が1度も降らないため、カホオラベの大地は乾ききっています。起きているときも寝ているときも砂埃の中です。水道は引かれていませんから、上陸している3日間と前夜の1泊はシャワーを浴びることが出来ません。人目を気にしてよい服を持っていっても何もいいことがないのです。必要最小限にまとめた荷物を、巨大なごみ袋と、倒しても水が入らないように密閉できるプラスチックの容器に入れて、海に浮かせながら泳いで運ぶのです。大事な荷物をごみ袋なんぞに入れて本当に運べるのだろうか?なんて心配は無用。このごみ袋が救命浮き袋の役割を果たすとは、このとき誰が予想していたでしょう。

カホオラベならではの物(前述の他に、おしぼりがわりに使う赤ちゃんのお尻拭き、練習用のパウスカート、メリーモナークで着るために島で染める衣裳)と通常のキャンプ用品(寝袋、軍手、懐中電灯、着替えや洗面用具)を用意していざ出発です。(つづく)(by Shoko)

PKO のページにはカホオラベの情報が満載。Tシャツも売っています
http://www.brouhaha.net/ohana/

カホオラベの写真集
Kaho`olawe Na Leo o Kanaloa, Ai Pohaku Press, Honolulu, HI, 1995

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