キング・カメハメハ・セレブレーション・フェスティバル
●偉大な王、カメハメハの誕生日を祝う
ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王の誕生日を記念して、今年も各島で「キング・カメハメハ・フェスティバル」が開催されました。オアフ島でのイベントのメインは、カメハメハ王の銅像に捧げられる長いレイとフラワーパレード、フラフェスティバルです(カメハメハ大王の話は第27回をご参照下さい)。 |
カメハメハ像にレイをかけるためのクレーンも登場 |
カメハメハ王の誕生日である6月11日は、1871年にカメハメハ5世によって祝日にされましたが、パレードが始まったのは1916年からです。パレードはローズボール・パレードに続いて、国内で2番目に古いことになります。元来、パレードのメインになるフロート(山車)はハワイ市民クラブが活動の一つとして出展していたもので、最盛期には22のクラブのメンバー達が家族総出で山車を作っていました。現在では、残念ながら13の団体しか活動していません。
1つ山車を作るのに、人件費を含まず、材料と生花だけで約2500ドル要し、さらに平均的な山車を作るには最低50人のボランティアが必要になります。数千の生花を飾り付けるには、一度に大勢の手が必要になるからです。86年の歴史を誇るフラワーパレードは不景気に勝てず、資金の激減により来年の開催が危ぶまれています。開催1週間前には、わずか1つの山車が出る予定でしたが、ハワイアンエアーが急遽参加することになったので2つになりました。数年前までヒルトンやアウトリガーなどワイキキのホテルが山車のスポンサーになって、従業員がボランティアで花を飾っていたのは昔の話のようです。
ハワイ州は毎年パレードやレイセレモニーなどに15万ドルを提供していましたが、1996年には予算は半分、その翌年にはすべて削減しました。今年の開催は4万ドルを寄付したハワイ観光局と、2万ドルを寄付したインディアナ州の旅行会社に依存するものです。この会社は「ハワイの伝統ある文化を絶やしてはいけない」という信念から、5年間にわたって毎年2万5000ドルを寄付しています。パレードの主要スポンサーが州外の会社だという事実を知っている人は、ローカルの中にも少ないのではないでしょうか?
パレードの前日には、レイセレモニーが開催されました。アリイオラニハレにあるカメハメハ王の銅像が、たくさんのレイで飾られました。多くのボランティアの手によって、朝8時から長さ26フィートのプルメリア・レイが作られました。レイをかけるにはクレーン車が出動します。色とりどりの花のレイ がかけられた後、マイレなど葉のレイもかけられて、銅像は文字通りレイに埋まります。集まった観客達は、想像するだに芳しい香に包まれることでしょう。 |
パレード終点のカピオラニパークでは、フォークライフ・フェスティバルと称して様々な工芸品や芸術作品が展示されました。文化活動に参加することもできたそうで、出かけて行ったフラシスター達はタロ芋をすって、ポイを作ったりロミロミマッサージを体験したそうです。新鮮なできたてのポイは、特有のヨーグルトのような酸っぱさはなく、甘くて美味だそうです。
フェスティバルの締めくくりは、フラ大会です。今年はちょうど30回目にあたり、2日間にわたって繰り広げられました。私の所属するハラウもメリーモナーク終了直後から練習に入りました。メリーモナークと大きく異なる点は、演目がアトランダムで、メリーモナークのようにカヒコの日とアウアナの日が分かれていないこと、メリーモナークにはミスアロハフラといってソロのフラがありますが、カメハメハにはそのかわりにコンバインといって男女混合で踊るフラがあることです。西海岸、日本からもハラウが参加しました。昨年より数は減ったものの、相変わらずフラはハワイ以外でも人気があることがうなずけました。 |
フラシスターの乗馬パレードデビューは残念ながらおあずけ |
おまけ。実は、今年のパレードには、プリンセスに扮してフラシスター達が馬に乗って登場する予定でした。各島を代表する花で作られたレイを身にまとって、ダウンタウンから終点のカピオラニパークまで優雅に行進するために、毎週島の反対側まで乗馬の練習に出かけていましたが、パレード直前に落馬して参加できなくなりました。残念なことですが、次回に期待しましょう。
参考ウェブ: www.state.hi.us/dags/kkcc/
starbulletin.com/2003/06/01/news/story2.html
(Kawailani)
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