ザ・子連れ留学ストーリー
子連れ留学生が、遊びのことばかり書いてちゃいかん。子連れ留学なんだから少しそのことを書かないと…。最近読者の方から「留学」に関する質問のメールを頂くことが続いたのでちょっと考えなおした。そこで今は昔、3年前に三十路のママがどうやってハワイ留学生活を始めるに至ったのかを思い起こして…。
第3章 「渡米」
ハワイに来た頃のよし。まだ赤ちゃんでした。 |
先日、読者からメールが届く。「どうやって両親を説得したのかを省かないで!」だって…。実は、特に説得した訳でもないような気がする。15年前には(げげ!)短大進学・上京ストーリーがあった。北海道札幌郡広島町(現在は広島市になったのだ)から東京・大都会へ出ていった私とその両親だから、こいついい年してまたか、ってなもんだったと思う。旦那の父には、「どうしてよしを連れていくのか。」とだけ聞かれたのを覚えている。そして「私といるのが一番いいと思いますので…。」そう答えた記憶。このくらいでいーい?あとはもう、忘れたぁ〜!
ハワイ大学の秋学期が始まる2週間ほど前。1歳11ヶ月のよしを連れて、旅行がてら旦那も一緒にハワイに向けて飛び立つ。この時アサインされたのは またもビジネスクラス。へっへっへー。しかし、これを最後に私の生活は貧乏大学生へと一転する。旦那と離れてわかったこと。物やお金に比較的恵まれて生きていた私だったが、それは私の力ではなく、すべて旦那のおかげだったってこと。東京では頂き物がたくさんあったのに、ここによしと2人でいると、買わないとなーんにもない!
さて、旦那のいるうちに、とハワイでの家探しをスタート。まず、考えたこと。よしが寝ているあいだに勉強しなきゃいけないから1ベッドルームじゃなきゃいけない。車の運転・維持を一人でする自信はなかったので、バスでハワイ大学に通いやすいこと。セキュリティがちゃんとしているビルだってこと。そして、あまり長居する予定じゃなかったので、家具ができるだけ揃っていること。そして、大学近くのマキキというエリアで見た、2件目のコンドミニアムに、…ぴくぴくっと感じる。今思うと、まったく知らない土地での無謀な家探しだったが、ラッキーにもいい物件を見つけていたようだ。家具・駐車場つきの1ベッドルーム、セキュリティ・ビル(よしはガードのおじさんたちのアイドル)。屋上にプールもついて、家賃は1ヶ月749ドル也。そしてハワイに来て数日後のある晩、めでたく旦那と3人お引越し。スーツケース2つ分の荷物+パパの宝物のゴルフバッグ+よしを新居に運び込む。
さてここで、ハワイでの留学生活を始めるまでにかかった費用についてのご質問にお答えしましょう。どんぶり勘定でご免あそばせ。
●航空券(JAL悟空などのディスカウント・チケットだったと思う) 大人2人で約2300ドル。よし2歳前で、最後の無料フライト。
●ホテル代 アイランド・コロニー、1泊100ドル弱。1週間ほどの滞在で700ドル。
●家を借りるデポジットと始めの家賃 1500ドル(家賃2ヶ月分)。
●レンタカー 500ドル。
●私とよしの長期用海外旅行障害保険1学期分(4ヶ月)で約300ドル。
●よしのプレスクール学費(1学期分) 約2000ドル。
●私の学費(1学期分) 約4500ドル。
●テレビ&ビデオ 約300ドル。よしが「しまじろう」のビデオを見るため。
しめて、…いくらだぁ? 改めて計算すると頭が痛くなりそうなのでやめておこう…。すいません、「両親説得」も省くし、現実逃避傾向がある私。
「私の学費」について。留学生(F-1ビザ保持者)には、アメリカ国籍保持者とは違う学費が定められている(ひどすぎる)。それが当時は約4500ドルだった(今はもう少し高い)。そしてこれは、平均「B」以上の成績を維持すれば、現地人と同じ額の約1700ドルになる。私の場合、初めは4500ドルを払い込んだが、短大での成績が「平均B以上」だったということで、約2800ドルが払い戻された。それ以来、毎学期住人料金をキープしているが、コンピューター専攻になってからは非常につらい。「D」なんかとってる場合じゃないのだ。
今週の登場人物
よし– 5歳の息子。最近めきめき悪さを増してくる。すっかりクソがきになってしまった。
パパ– 商社の鉄鋼部門E-Commerce推進課の課長。24時間戦うビジネスマン(よく夢の中でも仕事しているみたい)。どんなに疲れていてもゴルフのことだけは忘れない。
子連れママのプロフィール | ||||
日本で短大を卒業後、航空会社勤務。1997年8月三十路になった年、1歳11ヶ月になる子供の手を引いてハワイへやってきた。それ以来ハワイ大学の学生として、学期中(8月〜12月、1月〜5月)は主婦業をお休み(旦那は東京在住)、ママ業は手抜きで学業に励む毎日。全くのメカオンチであったがICS101という初めのコースをとってコンピューターに目覚め、それ以来ICS(インフォメーション・アンド・コンピューター・サイエンス)の学生としてプログラミングとグラフィック・デザインを学ぶ。将来は妻として母としてを優先しながらもプロフェッショナル・ワーキング・マザーでいたいと年甲斐もなく待望を抱いている。 | ||||
毎週、思い出のスナップを紹介しています。こちらは香港のチャイニーズ・レストランにて。フカヒレスープに幸せを感じるひととき。 | ||||
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