ハワイが生んだ踊りの名手、ダズ渡久地(トグチ)。現在26才。とてもにこやかで優しいステキ男子なんです。昨年(2009年)に、演歌「恋炎(こいほむら)」とカップリング曲「涙ぽろり」でCDデビューも果たしました。
編集部明子(以下明子):こんにちは、ダズ! 今日はよろしくお願いします。それにしても、昨年のデビューおめでとうございます。
ダズ・トグチ(以下ダズ):ありがとうございます(にっこり)。
明子:ダズは生まれも育ちもハワイだよね。
ダズ:そうだよ。日系4世です。父親は沖縄系、母親は中国とハワイアンの血を引いているんだ。
明子:日本舞踊にはどうして興味を持ったの? 習うようになったきっかけは?
ダズ:最初に日本舞踊に出会ったのは盆ダンス(編集部注:盆踊りのこと)なんだ。アラモアナのマジック・アイランドでビーチ・パーティをしていたら、すぐ近くで盆ダンスを踊っている日本の人たちがいたんだよね。炭坑節とか東京音頭とか、楽しそうで、すごく気になったんだ。で、なんと1年後には、「静岡流日本新舞踊の会」の、静岡せつ子先生の門下生になっていたというわけ。静岡先生には本当に色々なことを教わったな。
明子:ダズの踊りのスタイルは?
ダズ:まずは沖縄舞踊。仲宗根ダンス・アカデミーで沖縄の古典舞踊を習ったんだ。もう1つは今話した日本新舞踊。演歌に合わせて踊る、わりと新しい形式の日本舞踊なんだ。自分で振り付けもするよ。
明子:すごいっ! 振り付けのアイデアはどこから得るの?
ダズ:インスピレーションだね。ハワイや東京の劇場(演舞場)でいろんな劇団が踊るのをみたりしてヒントを得るんだ。日本のスタイル、ハワイのスタイル、そして自分のスタイルを組み合わせて1つにしています。そうすることで観客の目と心をつかむんだ。僕の踊りは他にはないオリジナルなものなんだよ。
明子:日本のスタイルといえば、ダズは沖縄に留学したんだよね。沖縄の生活はどうだった?ハワイとは違った?
ダズ:沖縄政府から奨学金をもらって、沖縄県立芸大に留学したんだ。何と言っても自分のルーツを知ることができたのが良かったね。僕はハワイの生まれ育ちだから、沖縄を実感できないところがあったんだ。自分のご先祖がやってきた土地に立つのは感慨深いものがあったよ。留学中に一番苦労したのは、言葉かな。最初の3ヶ月間は日本語で会話するのがすごく難しかったよ。当時は日本語も片言だったから(編集部注:今はペラペラ、完璧です)。でも日本語のクラスをとって、日本人の友達をたくさん作って、日本語がグンと伸びたと思う。だから日本の友達にはとても感謝してるよ。
明子:良かったね〜(しみじみ)。舞踊家としてやっていく上で、もっとも大変なことは?
ダズ:う〜ん。そうだな、他人とのコミュニケーションかな? 僕が住むハワイは多文化社会だから、誰もが日本文化に精通しているわけでもないよね。踊りを通じてどのように日本文化を他の人に知ってもらうのかが難しいところだね。あとは時間かな。練習や発表会、PR活動とか踊り関係にずいぶん時間を割いているけど、もっともっと他の人の踊りも見ながら、勉強したいと思ってる。時間があってもあっても足りないよ。
明子:踊りながら心がけていることは?
ダズ:踊りのテーマに合わせて感情を出すようにしているよ。「愛がテーマなら切ない気持ちを、祭りがテーマなら元気に!」とかね。誰でも振り付けに合わせて踊ることは出来るけど、そこにいかに自分の内面を投影していくかというところが難しいんだ。また、観客の雰囲気や気分、ムードを敏感にくみとるよう気をつけています。
明子:さすがダズ、すごくプロフェッショナルなんですね(感激)! それにしても、忙しいのに歌手デビューもしたんだね。演歌歌手としてデビューすることになったきっかけは?
ダズ:4才か5才のころ、お隣の日本人の女性から藤あや子の「むらさき旅情」のCDを貰ったんだ。それ以来、演歌ファンになったんだけど、演歌の練習をするチャンスはなかったんだ。でも3、4年前に大城ミュージック・スタジオのケネス大城先生に紹介してもらって、それから1週間に1度演歌を習うようになったんだ。
明子:実際に演歌を歌ってみた感じは?難しかった?
ダズ:うん(笑)。実際歌ってみて、「こぶし」を利かせるのがすごく難しいことがわかったよ。すごく難しいけど、演歌を通じて日本文化を伝えられることが嬉しいんだ。
明子:初めてのCDがリリースされたときの気持ちは?
ダズ:未だに信じられないよ(笑)。子どもの頃からの夢が叶ったんだから! ハワイで日本の歌を歌えるなんて、本当に幸せです。
明子:1つの夢が叶ったんだね。それじゃ、将来の夢は?
ダズ:どこか、外国で公演して、踊りと歌を通じて日本の文化、ハワイの文化を伝えたいと思ってるよ。日系アメリカ人の僕は、日本ではより日本的に、アメリカではよりアメリカ的に振舞うことを期待されていて、そんな状態のこの僕が日本の文化を伝えるのはものすごく大変なことだけど、将来の世代に自分のルーツ、日本文化を伝えるために頑張るよ。エンターテイメントの世界で、できるだけ成長していきたいね。
明子:偉いっ。感動したよ。じゃあ、ファンの人々にメッセージをお願いできる?
ダズ:いつもサポートしてくださってどうもありがとうございます。僕を元気付けてくれたり、ショーの成功のために寄付をしてくださったり、皆様からのご恩は決して忘れません。本当にありがとう。
とてもフレンドリーで優しくて、誰もが好きにならざるをえない性格の良さが、ダズの何よりの魅力。おしゃれなイマドキの男子だけど、芸に対するプロフェッショナリズムと努力は誰にも負けません。インタビューをしながら、ダズのポジティブなエナジーをいっぱい吸収し、私たち取材班も元気一杯になりました。ありがとう、ダズ。ハワイの歩き方はダズを応援しますよーっ!
次回は、ダズの故郷ハワイについて、そして大好きな着物について語ってもらいます。お楽しみに。
ダズの公式ウェブサイトはこちら
インタビューこぼれ話! |
現在飛ぶ鳥を落とす勢いのダズと、私ハワイの歩き方編集部の明子が始めてであったのは、実に10年前、2000年のお正月のことでした。1週間前にハワイ大学の学生としてハワイに来たばかりの私は、右も左もわからないままに、キャンパスで出会った日本人学生たちから出雲大社のボランティアに誘われて参加したんです。皆でお守りの仕分けなどしていると、一人やたら気が利いて働き者のロコボーイが登場。そうです。当時16才のダズでした。
彼は盆ダンス(ハワイの盆踊り)の名手として、あちこちで注目を集めており、すでにたくさんのファンがついていました。初めて会ったダズのカリスマ・オーラにびっくりした私は、「彼は将来ものすごいスターになるのでは」とひそかに注目していたのです。毎年お正月に出雲大社で出会うダズは、途中沖縄芸術大学に留学したりして踊りの腕をどんどん上げつつスターのオーラを増していき、ついに昨年レコードデビュー。そんなダズにじっくりインタビューしました。お楽しみください! (明子) |
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